Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

恵み降る

2014-03-26 | Weblog
    







今日は、朝から雨です。

昨日…おとといだったかな?
染井吉野が綻んでいる風景を見つけた。

綻ぶ、その瞬間を音にするとどんなんなんだろうね?
綻びの音を聴いてみたいな、と
ふと思う雨の午後。

『ポン』かな
『リン』かな
『ホロリ』かな
『フワン』かな
『ヨイショ』かな
『ウフフ』かな
『さぁ、そろそろ咲くか』…かな?


米粒大のコケシ並みに小さい脳ミソで想像しても
こんなものしか思い浮かばない。
途中から、台詞になってしまっているのが我ながら
脳ミソのネジが何処か緩んでるんだなと
自覚せずにいられないな…外れちゃってるかも?

『リン』は、小さな鈴が小さく鳴ったようなイメージで
『ホロリ』は、懐かしい思い出を思い出し涙がホロリとつたったイメージ、
『フワン』は、花らしく、愛らしく花びらが開いたイメージ、
『ヨイショ』は、卵から雛が孵るイメージ。
『さぁ、咲くか』は…のんびりしすぎちゃったな、そろそろ行くか?
というイメージだ。

やっぱり、ネジ、ゆるんじゃってるな。(トホホ)


それにしても、綻び始めた桜は
無条件で『わぁ…!』って呟いてしまうものだね?
これから日本中を
桜色に染め上げていくのだね。

あの街、この町を、優しい色に染めて
老若男女、何の境目もなく沢山の人を、『わぁ!』って
言わせてしまうくらいの
美しさなのだろうね?














鱗がはらりと剥がれて落ちて
空へ飛び立つ魚がいる

いや、魚のようだけど魚じゃないみたい
魚じゃないみたいで、
じゃあ、あれは何だろう?

空の彼方を
ひらひらと舞う花びらのように

あぁ、きっとあれは君
思うがままに飛んで、思うがままに咲いてほしい

その姿を見つけた僕は
『わぁ!』と呟いて

無条件にその自由を支持するだろう
剥がれ落ちた鱗を拾い集めて

恵みの雨の中で詩を綴り
君の限り無い幸せを、晴れた空に放つだろう















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名前

2014-03-25 | Weblog
   






昨晩もまた、家に帰って晩ごはんを頂いてから
すぐさま居眠りに陥ってしまった。

いつもはソファで居眠るのだけど、今回は床にすわったまま。
座ったまま眠ることが時々あって
ゆらゆらと舟を漕ぎ出して少しすると
或る時はバタン!なんていって倒れたこともあるけど
今回は器用に座布団などを枕に居眠っていた。

そんなこんなで、反省しなければいけないところなのだけど…
春の中で、今日もまた花は咲いています。
居眠りばっかりしてしまう僕にも、花は優しく笑ってくれるような?(トホホ)
花ってエライなぁ。


写真は、カランコエです。
そばにはネモフィラが咲いています。

花の名前って、面白いなとよく思う。
カランコエ、からんこえ…この名前結構好きだったりする。
『可憐』と『花蓮』と『枯れん』。
こえは、勿論、『声』を連想する。

可憐な声、花蓮の声、枯れん声。
どの言葉も好きだな、なんて思う。

可憐な声、聴いてみたい。
花蓮の声も、聴いてみたい、花ってどんな言葉を言うのだろうね。
いつもどんなことを考えて感じて咲いているのだろうな?
枯れない声…いつまでも好きな声は聴いていたい。
星のように、ずっと降り注いでいてほしい声がある。
だから、どのカランコエも好きなのだ。

ネモフィラという花は、柔らかい感じの名前で好きだな。
いかにも、春になってお目見えするその小さな花は
見つけると『可愛い~…』って呟きそうになる程に、
可愛い。

花の名前って、どれも何だかステキだね。















その声に、その名前に、その佇まいに
その言葉に『ありがとう』

外は、少し強い風が吹いているから
きっと今頃風に揺れて
その声は遥か彼方まで届いているのだろう

いつも耳に手を添えて
届いた傍から
呼吸の一つ一つを造っているのです

この文字が、この名前が、その佇まいのお陰で
永らえているのです

繰り返される毎日に『ありがとう』が蘇生しては
僕は生きているのです

















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春色の匂い

2014-03-24 | Weblog
     







ヒヤシンスです。
我が家には、こんな色のヒヤシンスがプランターだったり
畑…とは思えないような(トホホ)
荒れ放題の畑の隅っこに咲いています。
ピンクや濃いピンク(赤かな?)のヒヤシンスはプランター、
ブルーのヒヤシンスは畑の隅っこ派です。

ヒヤシンスは良い匂いだね?
水仙も良い匂いだけど、ジュリアンも良い匂いだけど
フリージアもアスターも薔薇も金木犀も良い匂いだけど…

花は、種類の数だけ匂いがあって
そんなことは当たり前のことなのだろうけど
そんな当たり前のことに何度も感動してしまう。
花の匂いを深呼吸しては
その芳香に、心がフワンとまろやかになる。

これは、よその耳かじりなのだけど
花の匂いというのは魔除け?になるのだそうです。(←違ってたらごめんなさい)
だから、花を部屋に飾ったりするのは
部屋の雰囲気がパァーっと明るくなったり
ちょっとお洒落になったりということの他にも
良いことなのだろうな。

そんなことを教えてくれて、『ありがとうございます!』
と感謝しながら、パッと振り向くと
自分の部屋の花瓶にはラナンキュラスが生けられてある。
母が生けてくれて、それもまた、『ありがとう!』…なのです。

自分好みの花を、自分の好きなように飾って
季節にすぐそばへ来てもらった気持ちになる。
『ようこそ!』という気持ちに。












ゆっくりしていってよ
なるべくずっと傍にいて

できるだけ長く一緒の時間を
春色の匂いの中で居られたら

天にも昇る気持ちになって
僕はこっそり歌いたい

幼い日に聴いた
オルゴールの中の思い出を

未来に向かう
長い光の列車に乗って














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2つの絵

2014-03-23 | Weblog
   






山茶花と椿は似ているけれど
咲く時期は、山茶花の方が先に、椿の方が山茶花の後に咲き始めるようだ。

ヨーダっていうと…甥っ子の好きなSF映画に
そんな名前の人が出てきたような。(人じゃないかも)
時々、『ようだ』って言葉を使うとその『ヨーダ』を思い出す脳ミソです。
余計な話、すみません。m(_ _)m
話を戻しまして…

椿でした。
左側の写真は、何年か前に出会った大きな椿の木です。
右側の写真は、我が家の椿の木です。
我が家のは真下から撮ったのでこんなアングルです。

アングル…っていうと、昔、そんな画家さんがいたっけね?
好きな絵があった。何ていう絵だったかな?
何ていう絵か思い出せなかったので
そばにあるささやかな画集を開いてみると…
『ヴァルパンソンの浴女』と『ルイ・フランソワ・ベルタンの肖像』が好きだった。
アングルさんは、肌理細かな綺麗な肌を描く名人だなと思う。
人肌って描くのは難しそうだけどな。

今日は、話が脱線してしまう。m(_ _)m
そう、アングル。大きな椿の木は、数歩うしろへ下がって撮ったものだけど
大きいので木の上部しか撮れず
全体を写すには、どれくらい後方へ行かなきゃいけないのだろう?
何十メートルも後ろへ…だろうな。
というくらい大きな椿です。

我が家のは赤い椿、大きな椿は、白とピンクのミックス。
しっとりした印象の椿は
見ていると心落ち着く、和の雰囲気満点なのだ。
お気に入りの2つの椿の木です。


絵、最近、描いていない。
PCで描くのは、絵と言えるのだろうか?
そんな風に時々、自分で疑問に思うようになってしまった。(ちょっとだけ)
そういえば今月は一度も、申し訳ない程に描いていない。
PCに向かうと詩の方ばかり書いてしまって時間がなくて…というと
物凄い言い訳になってしまう。

今月中に描こう。
でも、何を描こうかいつも分からず、真っ白の前で立ちどまってしまう。


絵を上手に描ける人って、良いなぁ。
字を上手に書ける人もスゴイなぁと思う。
脳からの伝達のまま、思い描いたそのままに書けるってスゴイ。
真っ白の状態から世界が出来る。

あぁ、でも
無から有が生まれるというのは絵だけでなく、文字だけでなく
音楽、ドラマ、映画、コントも、
陶芸も工芸も舞台も華道も茶道も

全ての物がそうやって何もないところから
感動が生まれるのだね?

それでいうと、スポーツもそうか。
全てがそうなのかも知れないね?
この世界は、全てが真っ白からの創造力によって出来上がってるのかな。

やっぱり、想像や創造って
スゴイなぁ!















部屋には、4つの絵が飾られてある

2つは、市販のモネとルノアールのコピー
2つは、手描きの絵

街の絵は、バッタリ出会った人がくれた
いつも僕が眺めてるビルが描かれた絵だった

春の絵は、色鉛筆の温か味が溢れていて
桜が咲く風景が柔らかく描かれてあった

いつでも見える所に置いて
元気をいただいている

部屋には、2つの絵が飾られてある

真っ白から生まれた
僕の好きな街と、春の風景が
















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夜景と詩と

2014-03-22 | Weblog







昨日は、風が強く唸るように吹いていて寒かったけど
今日は、風はほとんどなくて暖かい。
『そうそう、3月ってこういう感じだった』…という感じの日です。

真意って何だろう?
本質って何だろう?

なんて、この脳ミソじゃ分かりにくそうなことを時々思う。
そもそも、そんなことを考えて良いような身分の自分なのだろうか?
そんなこと考えずとも
ニュートラルに何にも考えずに
装飾も見栄も嘘も込めずに、居られているだろうか?
なんてね。

このブログを、或る日、毎日続けようと思った。
それは何とか辛うじて実行中ではあるけれど
もしかして突然
ぷっつり…と途切れることもあるのかもしれない。

詩が浮かばなくなって切れるのか、
続ける気力がなくなって切れるのかは分からないけど
もしかしたら、そんな日が来るのかもしれない。

でも、毎日の投稿が途切れるだけで
感覚の空いた投稿になるだけなのかもしれない、それさえ
分からないのだけど。
出来るだけ続けていけたらと思っています。


詩が何故だか、子供の頃から好きでね
とはいっても詩集を図書館で借りてきて読むとかは
全然していなくて
人のを読んでしまうと何か書けなくなりそうな気がしまってね?
読みたい気持ちは物凄くあるのだけど
やっぱり、書けなくなってしまいそうな気がしてしまう。

7,8年前のことなのだけど家族が亡くなる前辺りから
心の方がしんどくなっていて(今はお陰さまで大丈夫)
文字を綴っていると気が楽になって
特に、亡くなった後などは、詩を書いて自分で自分を励ますというか
癒しの作業になっていたのだと思う。
それから詩は続いている。

詩が好きで書いていは居るのだけど
好きなだけで書いているのではない、と思う。

どんな人がブログを読んでいて
どんな人がどういう風な感想を持つのか、全く全然、知らない。
もしかして不快な気持ちを持つ人がいるのかもしれない?
…と思うと、綴っていて良いのだろうかと思う。
もし、不快な気持ちの人がいらっしゃったら、本当に
申し訳ありません。


ということを、時々、拝見させて頂くブログを読んでいたら
思ったので…
ふいに書きたくなりました。m(_ _)m

どうなのだろう?
このブログって、人間と一緒でダメダメな感じなのかな?(やっぱり…)
自分の詩について、評価をもらったことって(良いも悪いも)ないから
全然分からないけど。

でも、書いているのは


その存在が大好きだから、『元気でいてほしいな』


詩が好きだから、なのだろうと思う。













分からないことばかり

3月いっぱいで閉まってしまうレストラン
行ってみたけど
予約じゃなきゃダメだった

3月いっぱいで終わってしまう番組
いつも楽しみにしていたけど
心のなかに録画しておく

春分の日が来て
街には強い風が吹いていたけど
大好きな夜景は相変わらず宝石のようで
長い光は、優しく流れていた

レストランも番組もなくなってしまうけど
街はずっとある
坂もある

街を失くすこととは、どんなに辛いことかと想像した
ふるさとの真意を思った

海は黙って、夜の海
朝が来たら、微笑んで、朝の海

分からないことばかりだけど
分からないからこそ

それは在る















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