投資家の目線

投資家の目線801(トランプ大統領?それともバイデン大統領?)

 アメリカ大統領選挙が終わった。日本にとってアメリカ合衆国(米国)政治影響は大きいので、誰が米国大統領になるかは大きな関心事である。両者で日米関係にどう影響が出るかを考えてみた。

・経済問題
 トランプ政権下では米中対立が目立ったが、同政権の本質は米中デカップリングではなく世界経済のデカップリングで、米中デカップリングはその一部に過ぎない。当然、日米経済のデカップリングも含まれる。日米修好通商条約締結でハリス公使が、『「日本の最良の諸港のうち三つで、米国の海軍倉庫を確保した」ことを「条約におけるもっとも重要なものの一つとして」極めて高く評価している』(「日本開国史 歴史文化セレクション」石井孝著 吉川弘文館 p.349)ように在日米軍基地は米国にとって資産だが、米国の納税者はそれを確保し続けるために過剰なコストをかける気はない。米ソ冷戦時のように、同盟国をつなぎとめるために同盟国に経済的利益を与えるだろうなどという夢は見ない方がよい。

 バイデン氏はアメリカ製品を購入する「バイ・アメリカン」政策を掲げるものの、反トランプのグローバリストの支援も受けているので、日本の輸出産業にとってはトランプ政権よりましであろう。石油などの資源を購入するには外貨、今のところ特にUS$が必要なので、対米輸出でUS$を獲得できなくなる事態は日本にとって好ましくない。


・米朝問題
 ポンペオ国務長官はシンクタンクでの対談で「北朝鮮に対してさらに進展を成し遂げることができるという希望を持っており、依然として楽観している。公開的には静かだが、北朝鮮の人々ともどのような機会が持てるか考えている」(「米国、ニューヨークルートを通じて北朝鮮に非核化・食糧支援協議を提案」 2020/9/17 中央日報日本語版)と語るなど、トランプ政権は朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)の金正恩政権と関係を改善しようとしていた。米朝関係が良好になれば、敵国が米国の同盟国の先制攻撃を想定する「逆デカップリング」のリスクは減少するだろう。

 一方、日米で圧力をかけてDPRKから譲歩を引き出そうという勢力にとっては、バイデン氏が大統領になった方が好ましいだろう。ただし、バイデン政権になってもDRPKに非核化を飲ませるのは困難である(「<FT特約>北朝鮮非核化、米次期政権が転換」 2020/12/3 日本経済新聞WEB版)。既に相互確証破壊が成立している可能性もあり、インドやパキスタンのような核保有国扱いをするだろう。『日本国政府は,条約第10条に,「各締約国は,この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認めるときは,その主権の行使として,この条約から脱退する権利を有する。」と規定されていることに留意する。』(核兵器不拡散条約署名の際の日本国政府声明(昭和45年2月3日))ので、日本は他国の核兵器不拡散条約脱退を責めることはできない。


・価値観
 キリスト教福音派にはトランプ支持者が多いようだ(「ミッキーでも勝たせる? 大統領選を揺らす米国の信仰心」 2020/11/3 朝日新聞デジタル)。キリスト教国ではない日本にとって、キリスト教の価値観の色濃いトランプ政権はそれほどやりやすい相手ではないだろう。サミュエル・ハンチントン著「文明の衝突」(鈴木主税訳 集英社)には、「フランス人は、厳密に見ると人種差別的というよりは文化主義的だ。完全なフランス語を話すアフリカ出身の黒人は議会に受け入れられるが、ヘッドスカーフをつけたイスラム教徒の女子は学校に入学させない。」(p.302)と記されている。トランプ支持者には人種差別者がいるともいわれるが、文化主義なのではないのだろうか。特定の人種にキリスト教(特にプロテスタント)の倫理観と相容れない人が多ければ、人種差別なのか文化主義の問題なのか判別できなくなる。外交官だった来栖三郎は、著書「泡沫の三十五年 日米交渉秘史」(中公文庫 p249)で「われわれは西洋の民主主義とキリスト教の人道主義とが、切っても切れぬ連繋をもっていることをとうてい否定することは出来ないのである」と書いている。デジタル大辞泉によれば、「人道」は「人として守り行うべき道」とされる。守り行うべき道には商道徳、はては食べ物までも含まれよう。しかし、宗教、宗派、思想が異なる場合、「人道」が全く同じになるとは思えない。

 イギリスのブレア元首相は宗教の問題について、「ここで議論のために、宗教には二つの基本的なタイプがあると想定しよう(これは馬鹿げた想定ではない)。第一のタイプは、自分たちの宗教が唯一の、真実で正しい宗教だと信じる。救済への道はほかになく、この信仰を共有しないものを不信心者として非難する。これは信仰についての排他的見方である。(中略)そして第二のタイプは、自分の宗教を強く信じ、ほかに真理はないという主張を信じる。しかし他の信仰をもつ人たちに対しても開かれた心をもっており、それを詳しく分析するわけではなくとも、異なる歴史をもつ異なる人々は異なる宗教的経験と信仰をもっていることを認める。それぞれの信仰が差し出す最善のもののなかに、善き生き方に導く価値観と原則の共通性を見るのである。」(「ブレア回顧録 上」(トニー・ブレア著 石塚雅彦訳 日本経済新聞出版社 p.37)としているが、トランプ支持者はどちらかというと第一の排他的なタイプと言えるのではないだろうか。排他的見方をしなくても、近隣住民の間で価値観が異なればご近所トラブルの種になり、一つの共同体を作ることは難しい。先日、フランスでイスラム過激派による事件が発生したが、印僑の一部も攻撃的なヒンズー至上主義を支持し、欧米受け入れ国などで分断や対立を生んでいると報じられた(「在外インド人、過激化防げ」 2020/6/21 日本経済新聞朝刊)。

 一方バイデン氏は、「はじめて、アメリカにおけるキリスト教の優位を否定した大統領となった」(「超大国の自殺 アメリカは2025年まで生き延びるか?」 パトリック・J・ブキャナン著 河内隆弥訳 幻冬舎 p64)オバマ大統領の政権において副大統領だったので、そこまでキリスト教の価値観にとらわれないのではないかと思う。

 「文明の衝突」には、セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒が戦ったボスニアヘルツェゴビナのことが書かれている。宗教が多様化すれば米国でも「文明の衝突」が起きやすくなるのではないだろうか。「歴史的に、ボスニアでは共同体としてアイデンティティは強くなく、セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒が隣人として平和に生活していた。三者のあいだの結婚も数多くあり、宗教的な自意識は薄かった。イスラム教徒はモスクに行かないボスニア人で、クロアチア人は大聖堂に行かないボスニア人で、セルビア人は正教教会に行かないボスニア人だと言われた。しかし、ユーゴスラヴィアという広いアイデンティティが崩壊すると、これらのあいまいな宗教上のアイデンティティが意味をもつようになり、いったん戦闘が起こるとそれが強くなった。」(同p.409)という。「文明の衝突」を起こさないためには、平和な時代のボスニアヘルツェゴビナがそうであったように、宗教上のアイデンティティを隠して日常生活を過ごす必要が出てくる。宗教に関係する行事、クリスマスや感謝祭、復活祭などもナシである。そんなことができるかどうかはわからないが…。

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