投資家の目線

投資家の目線802(ゴルバチョフ回顧録に見るソ連とブルガリアの関係)

 「ゴルバチョフ回顧録 上巻」(ミハイル・ゴルバチョフ著 工藤精一郎・鈴木康雄訳 新潮社)には、1984年にゴルバチョフを含むソ連党・国家代表団がブルガリアを訪問した時、両国間の経済関係の見直しが話し合われたことが記されている。「ソ連では、コメコン加盟諸国との関係を見直し、新しいアプローチを策定しなければならないという認識が深まっていた。旧来の原則にもとづいた二国間貿易や原料・商品バーター取り引きは現実的でなくなった。こうした諸国との協力関係の形態、経済関係の統合という面でより機能的、より互恵的な政策をめざさなければならなかった。(中略)ソ連は外貨建てで総額百七十億ドル相当の生産物をコメコン各国に引き渡していた。これに対し、ソ連が受けとっていた原料、物資、生産物の総額は三十四億ドルにしかならなかった。ソ連にとって約百三十六億ドルの赤字だった。このチャンネルを通じ、ソ連の国民所得のかなりの部分がコメコン諸国に流れていたことになる」(「ゴルバチョフ回顧録 上巻」p330~331)という。「外交 下」(ヘンリー・A・キッシンジャー著、岡崎久彦監訳、日本経済新聞社 p475)の、「ソ連邦に唯一残されていた同盟は東ヨーロッパの衛星国であったが、ブレジネフ・ドクトリンで暗に示されたソ連邦の力の脅威によってソ連邦に従ってはいたものの、ソ連邦の富を増加させるどころか、枯渇させたのであった」という記述が思い出される。

 現在、米国は巨額の貿易赤字を抱えており、同盟国との間にも貿易収支の不均衡を抱えている。米国はソ連よりも強い経済力を持っていたので今までこの体制が続いていたが、さすがにもう持たなくなり、その結果が「アメリカ・ファースト」、「バイ・アメリカン」政策ではなかろうか?USドルは基軸通貨で外国との資金決済に便利だが、貿易収支の不均衡の影響でニクソンショックやプラザ合意などを通し、その価値は下落している。

 代表団訪問時、ブルガリアは経済危機に陥っており、国家元首でもあるジフコフ・ブルガリア共産党書記長は、「フルシチョフの説得で、私たちはブルガリアをソ連国民の菜園、果樹園にしたのです。(中略)われわれブルガリア指導部は国民経済の構造を変え、ソ連への果物、野菜の輸出を優先する体制を作ったのです。それなのに、あなたがたはもうブルガリアへは支援も激励もしたくないとおっしゃるわけですね。」(「ゴルバチョフ回顧録 上巻」p331)と迫った。それに対してゴルバチョフは「ソ連がもうブルガリアを支援しないというのは正しくありません。支援しようと強く望んでいます。しかし、国際価格というものを考慮しなければなりません。二国間経済にはある程度の均衡をはかる必要があります。ソ連は支出する用意はあるのです。だが、それは具体的な生産物、物資の引き渡しに対しての支払いです。」(「ゴルバチョフ回顧録 上巻」p331)と説明している。ブルガリアと異なり日本は農業特化型経済ではないが、農産物は輸入して国内生産を疎かにし、自動車輸出関連に賭けるという「モノカルチャー経済」に近づいているように見える。ブルガリアはソ連への農産物生産に優先したため、ソ連の支援なしではやっていけない国になった。日本も自動車産業という特定産業に傾斜するのは危険ではないだろうか。

 「ジフコフは、ソ連とブルガリアは国家としても民族としても一衣帯水の関係にあると議論の方向を変えてきた。彼の主張にも一理あった。だが、われわれの方は、ソ連経済に問題と障害が増大していることを無視するわけにはいかなかった。」(「ゴルバチョフ回顧録 上巻」p331)と、ゴルバチョフはブルガリアに譲歩しなかった。これは現在の日米同盟下の日米貿易交渉と似ている。現在の日本側は盛んに日米同盟を唱えるが、だからといって米国側が日米貿易交渉で譲歩することはないだろう。

 代表団訪問時、「祝宴はブルガリアらしく豪勢なものだった」(「ゴルバチョフ回顧録 上巻」p330)という。日本の首相が米国大統領と接待ゴルフをしても、貿易交渉で米国から譲歩を得られるわけではないだろう。
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