・享保の打ちこわし
江戸最初の打ちこわしは、享保期に起きた。徳川吉宗政権は武士の所得に関わる米価安に悩まされていた。しかし、享保十七(一七三二)年夏に、瀬戸内海沿岸を中心にイナゴが大発生して大きな被害を出した。江戸でも米不足から米価は一時的に高騰、町民の生活は苦しくなった。同年十二月、米価高騰により町民の困窮し、餓死者も出ているなかで、日本橋・京橋・築地周辺の家主たちが、町奉行へ米価引下げを願いでた。町奉行所は訴状を受理したが、倹約して生活を切り詰めるよう指示しただけで、有効な対策をとらなかったという。翌年正月、十七日には名主たちが町奉行所へ米価引下げを願う訴状を提出、さらに十九日には町民が集団で町奉行所に押しかけ米価引下げを嘆願した。幕府は、二十一日に江戸へ白米輸送禁止令を解除するとともに、米の隠匿を禁止し、問屋・仲買・小売に対しては手持ち米の売出しを指示する。
そのさなか、高間伝兵衛(幕府が米価調節のため江戸で上方米を引き受けることができる米問屋八人の一人で、幕府の米価調節に協力する特権的御用米商人)が米を買占め、米価をつりあげているという風評が広まった。そのため、伝兵衛は幕府の許可を得て相場より安く大量の米を売り出そうとするが、その前に伝兵衛宅が打ちこわしにあった。打ちこわし四日後の二十九日、幕府は米屋・米問屋が所持している米を、すべて町民に売り出すように命じた。また困窮民の救済として、町奉行は救米の支給と川浚い普請の救済事業を実施した。その後、名主の要望にもとづき、一部困窮者の地代、店賃の免除も命じた。これらの対策で、打ちこわしは伝兵衛宅一軒にとどまった(「東京都の歴史」p197)。
・天明の打ちこわし
天明の打ちこわしは、田沼時代末期に起きた天明の大飢饉を引き金とする。田沼は外国貿易の拡大や商業資本との結託といった新機軸の経済政策を生み出したが、農政については商品生産の進展に伴い農民の間の貧富の差は拡大、農村から脱落した貧農の多くは無宿者となったり、江戸などの大都市に流れ込んだりした。こうした農村の荒廃と都市貧民の増加により、百姓一揆とともに都市打ちこわしも発生していた(同p227)。
江戸の天明の打ちこわし参加者は、「ほとんどが裏長屋住まいの江戸庶民であった。(中略)職業は左官・足袋・提灯張・蒔絵・髪結・屋根葺などの小職人や、天秤棒をかついで野菜や魚を売り歩く零細商人たちであった。年齢は最年長五一歳、最年少二一歳で、平均年齢は三三歳であり、ほとんど妻子持ちの分別盛りの男たちであった。彼らは、やむにやまれず蜂起したのであり、お祭り気分で衝動的に参加したわけではない。この大規模な打ちこわしを、統一的に組織する指導グループがいた形跡はない。しかし当時の諸書にみえることだが、蜂起民衆の行動様式に二つの注目すべき特徴があった。一つは、火の用心をしながら目的の商家を打ちこわし、ほかに迷惑をかけぬよう気をつかっている点である。もう一つは、建具や家財を打ちこわし、商品の米や雑穀を道路に散らかすが、決して盗みをしなかったことである。(中略)ただしのちには、盗みを働くいわゆる便乗組も多くなった」(同p230)とされる。
享保の打ちこわしに対する幕府の救米の支給は、新型コロナ救済策のうち特別定額給付金に通じるものがある。川浚い普請は自治体による内定取り消し学生やコロナ失業者に対する職員の期間限定・臨時採用といったところか。新型コロナ救済策として家賃支援給付金などの家賃補助制度は、幕府の困窮者の地代、店賃の免除に相当しよう。餓死者が出ているような緊迫した情勢の下、倹約して生活を切り詰めるよう指示するなど幕府の初動は遅かったが、打ちこわしが一軒で終わったところを見ると、その後の対策の実施は徹底されたようだ。一方、現在の新型コロナ救済策に関しては、産経新聞の16~23日時点の調査で東京23区の特別定額給付金の給付は平均3割にとどまっており(『「10万円給付」大都市圏で遅れ 東京23区で平均3割 給付作業に手間取り』 2020/6/23 産経新聞)、実施は遅れているように思う。
現在の情勢は、田沼の功利的・重商主義的経済政策の結果、農村の荒廃と都市貧民の増加を招いた天明期に似ている。打ちこわしにはリーダーがおらず、幕府を唐キような動きではない。ヒラリー・クリントン氏は回顧録「困難な選択 下」(日本経済新聞社訳 日本経済新聞出版社 p74)で、エジプトのデモで中心的役割を演じた学生や活動家たちは組織化されていないグループで、何かと競ったり闘ったりする準備ができていなかったとし、彼らは闘わないままムスリム同胞団か軍部に国を渡してしまうのではないかと懸念されたがその通りになったと書いている。また、盗みを働く便乗犯が出たのは、破壊や略奪の起きた香港や米国での「抗議行動」と同じだ。日本でも、大正時代の米騒動では、米を買占めているとの風評から、大手商社鈴木商店の本店が焼き討ちされている。
2018年ごろ、食品関連の値上げが盛んに報じられていた(投資家の目線670(食品関連の値上げ) 投資家の願い)。今月1日には、「ほっともっと」の「のり弁当」が白身フライのボリュームアップ等の代わりに300円から330円に値上げされた。自粛期間中には小麦製品が品薄になった。現在、海外ではバッタやイナゴの大発生で食糧危機が懸念されている。さらに外国人技能実習生が来日できず、農作物の収穫に悪影響をきたしている(「実習生ら来日できず農家ピンチ 収穫できず廃棄も 入管、再就職支援も」 2020/5/19 毎日新聞)。食品価格の高騰はない、とは言い切れない。
農業人口の確保による荒廃した農村の再建と、江戸下層社会に流入した貧農を減少させることによって治安の悪化や都市打ちこわしの危険性を取り除くため、寛政期には旧里帰農奨励令、天保期には無宿・野非人旧里帰農令が発せられた。旧里帰農奨励令は、故郷への帰農や故郷以外で百姓になることを希望する困窮者に対して旅費・夫食代・農具代または田畑を支給するから願い出るよう記されていたが、願い出るものはまれだったという(「東京都の歴史」p237~p238)。無宿・野非人旧里帰農令では「江戸市中の無宿・野非人の減少にかなりの成果をあげたが、一方では、無宿・野非人を送り込まれた関東各地では、かえって治安が悪化し、荒廃農村の労働力増加には結びつかなかった」(同p289)とされる。
旧里帰農奨励令については、当時の江戸では武家奉公人が払底し給金が高騰しており、政策を徹底すれば奉公人人口が減少し、給金のいっそうの高騰を招く恐れがあったため、帰農のための支給手当てが不十分だったことなどが、それがうまくいかなかった原因としてあげられていた(同p239~p240)。新型コロナウイルスの発生で、再び首都機能の分散が論議されるようになった(「首都機能の分散、議論再燃 コロナやリモート普及背景」 2020/6/26 日本経済新聞)。このことは首都圏への人口集中を緩和する効果が期待できる。しかし、首都機能分散は東京の不動産価格の下落要因でもある。先日、東京都東区部について書いたが(投資家の目線776(東京都東部の再開発) 投資家の願い)、東京23区内で相次ぐ大型マンション建設、東京の物件への投資比率が圧涛Iで、日本銀行も購入している上場REIT(投資家の目線577(日銀保有のREITの東京一極集中リスク) 投資家の願い)など、不動産や不動産を担保に融資している金融機関、REIT保有者に悪影響を及ぼすため、難しいところがある。需要が激減した飲食業や観光業の従業員を農業に従事させる計画もあるが(「コロナ禍の観光・飲食業 農家が人材受け入れ JAや行政が就労を仲介」 2020/4/12 日本農業新聞)、慣れない土地や仕事に順応できるだろうか?Uターンの人でさえ、「村八分」扱いされたケースも報じられた(『Uターンで「村八分」是正を 大分県弁護士会が勧告』 2017/11/7 日本経済新聞WEB版)。しかし、経済的にデカップリングが進む中、人口を分散させ、自給できるものは自給する体制を構築することは生き残りのための必須条件である。
なお、寛政二年に設置された石川島の人足寄場については次のように書かれている。「隅田川河口の石川島に設置された人足寄場は、江戸市中に徘徊する無宿人の強制収容施設であった。これにはあきらかに、打ちこわしのさいのもっとも危険分子である無宿人の予防拘禁という、幕府の意図がこめられていた。しかもこの施設は、収容期間中に縄・藁細工や、石炭・炭団づくりや、油絞り・紙漉きなどの職業をおぼえさせ、その労賃を貯蓄させ、品行おさまれば貯金をあたえて釈放するという、社会復帰のための授産場でもあった」(「東京都の歴史」p240)(三井環元大阪高検公安部長が語った受刑者の作業収入を管理する法務・検察の天下り団体、財団法人矯正協会のピンハネ(「アジア記者クラブ講演会:三井環氏が検察の裏金犯罪の実態暴露」 2010/2/23 レイバーネット)より、よほど良心的ではないか)。それ以前には深川茂森町に無宿養育所が設けられたが、逃亡者が多く廃止となった。それゆえ今度は、逃亡しにくい島に設けられた(同p240)。
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