「国際経済と冷戦の変容 カーター政権の危機と1979年 叢書 21世紀の国際環境と日本 009」(尾身悠一郎著 千倉書房)は、イラン革命とソビエト連邦のアフガニスタン侵攻の発生した1979年頃の米カーター政権の動きについて書かれた書物である。
ジョージ・F・ケナンは「好ましからざる地域の石油に依存し、それお軍事的措置によって支えようとする」(p4)として、カーター・ドクトリンを批判していた。カーター・ドクトリンとは、アフガニスタン侵攻発生後の1980年1月の一般教書演説における「ペルシャ湾岸地域の支配権を獲得しようとするいなかる外部勢力による試みも、アメリカの死活的な利益に対する攻撃とみなされ、そのような侵略は、軍事力を含む、あらゆる必要な手段でもってこれを排除する」(p3)という宣言である。アメリカ合衆国(米国)は世界一の産油国であるが、主にイスラエルとイランの対立で不安定な中東諸国を含む、OPECプラスの石油生産次第で米国内で石油価格も大きく変動している。シェールガスの採掘コストも上昇しているためか、増産は進んでいない(「米シェール、コスト上昇が増産阻む 原油高も伸びぬ供給」 2022/10/18 日本経済新聞電子版)。ただ「脱炭素社会」は、「好ましからざる地域の石油に依存」しない政策とはいえる。
ただし、ブレジンスキー補佐官がSCC会議で「ソ連の行動の動機が何であれ…我々の安全保障と重要な利益にとって深刻で、客観的な脅威」と述べるなど、カーター・ドクトリンとソ連の動機は無関係とされている(p223)。以前にも書いたが(投資家の目線868(United Nations のグレート・リセット))、ブレジンスキーはフランスの週刊誌に、ソ連のアフガニスタン侵攻前から、ソ連の侵攻を招くことになるだろうことを認識しながら反政府勢力のムジャヒディンに武器支援を行っていたこと認めている。ソ連の侵攻が始まった時には、「わたしはカーター大統領に書簡を出したよ.だいたいこんな内容だった.これでソ連にヴェトナム戦争を体験させてやれます、と.」(「帝国アメリカと日本 武力依存の構造」 チャルマーズ・ジョンソン著屋代通子訳 集英社新書 p19)。アフガニスタン情勢において、米国にとっての最終目的は何かと問われて、ブレジンスキーは「ソ連にできるだけコストをかけさせることだ」(p205)と答えたことも整合する。カーター大統領の回顧録にもソ連の侵攻が発生した時、自分とブレジンスキーが冷静だったことを書かれており(「カーター回顧録 下 キャンプ・デービッドとイランの影」 日高義樹監修 持田直武・平野次郎・植田樹・寺内正義訳 日本放送出版協会 p268)、ソ連の侵攻は二人にとって想定通りだったことが暗示されている。
2016年1月のThe Nation誌は、米国議会がアゾフ大隊のようなネオナチ集団への資金提供の禁止するように国防歳出法案の修正案を起草したがペンタゴンの圧力を受けて年末支出法案から削除したことを報じていた(GT investigates: Evidence suggests US may have supported neo-Nazi Azov Battalion - Global Times By Huang Lanlan and Cui Fandi 2022/3/7)。ネオナチ組織に一度でもかかわった人物は入国が難しくなる米国では異例の措置と言えよう。「正教やルーシの言語は下層階級のものとみなされるようになった。そしてこの偏見は第二次世界大戦のときまで続くのである」(「物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国」(黒川祐次著 中公新書p74-75)とされる。オバマ・バイデン政権は、ウクライナ内部のこの偏見を利用してウクライナ民族主義者にロシア系住民を弾圧させれば、アフガニスタンの時と同じようにロシアをウクライナに侵攻させることができると考えたのではないだろうか?ウクライナ支援の主要国であるポーランド駐在の米国大使はブレジンスキー補佐官の子息マーク・ブレジンスキー氏である。息子が父のマネをしたら、プーチン露大統領に思い切り巴投げを食らったように見える。なおアフガニスタン侵攻当時、サウジアラビアはイエメン等中東地域に介入し始めたソ連を警戒し、米国と距離を縮めようとしたが(p117)、今回のウクライナに対する特別軍事作戦ではサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子がロシアのプーチン大統領と協調するなど(「ロシアとプーチン氏がサウジ皇太子と電話会談、同盟関係の強化を図る」 2022/3/4 Bloomberg)、当時とは真逆の行動をとっている。
イラン革命後の米国大使館人質事件をきっかけに、米国はイラン資産凍結を含む経済制裁を発動。それに対しイランは、石油代金を米ドルで受け取ることを拒否する「ドル・ボイコット」で対抗した(p142)。今回の特別軍事作戦でも西側諸国はロシアに資産凍結を含む経済制裁を行い、国際的決済システムSWIFTを使えなくなったロシアは、ドル以外の通貨で決済を行うようになった。今年6月には、サウジアラビアがペトロダラー協定を更新せず、サウジアラビアの原油は米ドル以外でも購入できるようになった。ただし、巨額の経常赤字と財政赤字を前政権から継承したカーター政権は、基軸通貨としての米ドルの役割を緩やかに低下させ、金融政策に対するり大きなコントロールを与えて輸出競争力を回復させようと考えており、そのためブレジンスキーは石油のSDR建て決済構想を進言していたという(p156~157)。サウジアラビアもSDR建て決済を推進していたが、イラン・イラク戦争の勃発でそれどころではなくなり、立ち消えになった(p249~250)。ペトロダラーの終焉で(投資家の目線984(ペトロダラーの終焉))、急激か緩やかかはわからないが米ドルの基軸通貨としての役割を低下させるだろう。
カーター政権時代の米国の双子の赤字は米ドルの下落要因なっていたが、欧州の中央銀行は米ドルを買い支えて急落を防ぎ(p52)、米ドル建て資産を多く保有する中東の産油国も米ドルの安定を望んでいた。しかし1979年後半、金価格が急騰、米ドルはマルクに対して下落していく。米国によるイラン資産凍結により、『「ユーロ市場は政治に無関係な性格を持つ」という「大きな幻想」が打ち砕かれ、「アラブの資金は金へと逃げ込んだ」』(p208~209)ためとされている。今回もロシアへの経済制裁が、資産凍結を恐れる投資家が資金を引き揚げたことがクレディ・スイス経営破たんの原因と考えられている(「クレディ・スイスはいかにして対露制裁の犠牲となったか」 2023/3/22 sputnik)。カーター政権当時、OECD諸国が金準備の約86%を占めていたのに対して、OPEC諸国の金保有量は外貨準備の5分の1に過ぎなかった(p248)。そのため、金価格の高騰が米ドル相場の安定をさせることとなった(p244)。中央銀行の金保有量が多いのが米国で、6月時点で8133.5トン、順にドイツ3351.5トン、イタリア2451.8トンとOECD諸国が占めているが、近年では新興国の買いが目立ち、23年に最も金を購入したのは中国の224.9トンだったという(「中銀の金買い」 2024/9/3 日本経済新聞朝刊)。産油国も当時より多くの金を保有している可能性がある。
現在の政策も当時の事例を研究して実行したものだと思う。ただし、研究しているのは西側諸国だけではない。当時と同様の結果になるかはわからない。
(書籍名がなく参照ページだけのものは「国際経済と冷戦の変容」のもの)