隣町に越してきたので
生活のテリトリーは以前とそんなに変わらない
以前住んでいた町にもよく出かける
コロナで足は遠のいてしまっているが
先日ブログで記した その続編があるので書いておこうと思う 4/17「おおらかであれ」
あれから ちょろちょろ 私の脳裏をよぎり
どうもすっきりしない
ただなんとなくその出会いを寂しく感じたからだ
その方は 息子が小学生の時のママ友で
20年振りぐらいの再会である
お孫さんふたりと買い物に来られていた
お孫さん達は ふたりとも男の子で
息子の同級生であるお父さんの子供の頃に そっくり
タイムスリップした感じである
でも時は流れ ママ友にとっては 愛すべきお孫さん達である
時間は残酷なものである
そこにママ友の昔のはつらつとした面影は微塵も存在しなかった
お孫さん達がいればこその ママ友さんであることの認識である
「○○さんですか」と声掛けしたら
きょとんとされた
彼女にとっても 「私の存在」は 私と同じ認識だったのである
悲しい事に 私の名前すら 思い出してもらえなかった
子供達の事より
人生を語り合って よくお茶をしたのに
どんよりとした思いは未だ晴れずです
「能天気」な私なんですがね
自分の脂肪以外はそぎ落とし
気楽でそして自由な身の上なんですが
人はひとりで生きる事はできないし
皆に 国家に守られて生きているんだなと
この頃 とみに感じています
東京はちょっと人々の気持ちが いっぱいいっぱいかもしれません
食料 日用品等の買い物でも とても緊張し気を遣います
そんな時
懐かしい人と出会い
ほろりとしてしまったのですが
20年の時間の儚きに ちょっとだけ寂しい思いになりました
いつもなら ケロリンチョンなんですが
コロナは時に 人々の心まで破壊しよります
冷静でありたいものです
そして 頑張らなければね
お母ちゃんも ご自愛下さいますように o^―^o
でも我が家に籠るが世のため なんちゅう時代を歩いていることかね
こんな時代になろうとは・・・・・・
ふきさんは ノー天気どころか繊細な方ですよ
何十年ぶりに逢っても長年の 環境の違いは
会話さえ弾まず 言葉を選んでの会話はストレスを経験しました
私のような普通の主婦は やっぱりキャベツがお高くなったわね~の 単細胞のレベルが気が楽 相手に入り込まないでいいし
息子自慢の出世がどうのこうのはどうでもいいの
己の人生少ないんだから
残り少ない自分の人生煩わしいのはことごとく削ぎ落としてお空へいきたいわ
軽く飛べるでしょう
ネガティブに生きるとしんどい