松山英樹選手の優勝を観ずして 父ちゃんは釣りに行ってしまったが
生放送ではなかったのかな・・・
松山選手の勝ちに変に興奮してしまった
衝動買いをした靴は中敷きをしてもブカブカで
あまりの歩きにくさに足がつってしまった
こりゃだめだ
皆が藁草履だった時代に生まれればよかったな
母に似てしまった
母方の従妹のA子もB子も私と同じ足をしている
そして我が娘もだ
ごめんね ごめんね~
10月に入りましたね
ブログには秋桜の話題も多くなりました
下の写真は28年前の10月14日に撮った写真です
『黄色い秋桜』は 当時はまだ昭和記念公園にしか咲いていなくって
家族で出かけたのでした
鮮明に記憶しています
光陰矢の如しですね
百恵さんの『秋桜』を聴きながら
我来た道を想います




にゃんともすんとも・・・
生放送ではなかったのかな・・・
松山選手の勝ちに変に興奮してしまった
衝動買いをした靴は中敷きをしてもブカブカで
あまりの歩きにくさに足がつってしまった
こりゃだめだ
皆が藁草履だった時代に生まれればよかったな
母に似てしまった
母方の従妹のA子もB子も私と同じ足をしている
そして我が娘もだ
ごめんね ごめんね~
10月に入りましたね
ブログには秋桜の話題も多くなりました
下の写真は28年前の10月14日に撮った写真です
『黄色い秋桜』は 当時はまだ昭和記念公園にしか咲いていなくって
家族で出かけたのでした
鮮明に記憶しています
光陰矢の如しですね
百恵さんの『秋桜』を聴きながら
我来た道を想います




にゃんともすんとも・・・
られましたが、そして最近もちらっと見せてもらいました
が、スタイルが云々とぼやくことでごまかされています
ね。
でも美人であることはいいですね。多少体形が変わってもそれでカバーできる。
ひたすら体系を変える努力しかできないchidoriは
これも私の人生だから―って胸を張って生きていきましょう。
私も周りも慣れてくれましたのでね。
真面目そう~~。この頃はあまり派手な格好はされていなかったのですね。
絵に描いたような幸せな家庭ですね!
もちろん今でも。。。
私の親しい人はみんな夫婦円満です。クラス会とかで皆が皆そうではないのに驚きます。
どなたかに撮って頂いたのでしょうか?
ステキな写真です(*^o^*)
父ちゃんはまだ28歳 私は35歳です
若い!
若い時は皆それなりに細胞が美しい
私の人生のうちで間違いなく一番幸せな時です
初めて見る『黄色の秋桜』に
とても感動をしたのを覚えています
年を重ねて 人はその生き様が顔に出てしまうものです
ごまかしがききません
後ろ姿が 哀愁酒場の私
かたや 向日葵娘モトイ向日葵御姉様のchidoriさん
酒を飲むしかありません
これから・・・着物生活にしませんか?
良いと思います!
普段は下駄で!お出かけだけ・・草履!
リサイクルショップで・・・普段着も売っている!
ダンスしてなかったら・・・私は着物生活していたかも・・・。
当時東京に住んでいた姉を誘い出かけました
写真は姉が撮ってくれました
そうですね この写真では
父ちゃん派手ではないですね
多分 姉に遠慮してのことだと思います
今釣りに行っていますが
すごい出で立ちで 出かけています
あっという間の人生ですね
子供たちが 写真当時の父親の年齢を越えているのですから・・・
よくここまで持ちました
これから先の事は わかりませんゾ
能天気に楽しく進むのみです
シニアのブロガーさんで
着物のみでの生活をされている方がいらっしゃいます
とても素敵な方で こんな生活もいいものだと憧れます
同じように
着物姿のきみさんも ごく自然にイメージできます
私はいかり肩で 着物が全く似あいません
話せば長くなるので 話しませんが
母が成人式に着るようにと夜行列車で持ってきた振袖ですが
一度も袖を通さないまま家にあります
娘も着やしませんでした
そんな後ろめたさもあって
着物とは生涯縁がなく 人生を終えるつもりです
あ~でも
この下駄足 どげんかしたーい
素敵なご家族写真ですね!
そして皆さんおっしゃるように、ふきさん素敵!!^^
28年前?
その頃、私は離婚して3年目くらいかな?もだえ苦しんでいました。
人生いろいろ、そしてアッという間ですね。
みんな色々な問題を抱えて生きています
私は苦しみを心に深く抱え込みません
人間が好きなんですが どこかであきらめの美学があります
これは幼き頃父親から学んだことです
我が家族も私色にそまり 自由に粛々と生きています
激情には程遠く 魅力のある生き方とは思えません
成れの果てが
カバ子とマントヒヒですもんね
酒に逃げるしかありません
は? 酒井和歌子さんと?
ほ! ふきさんでいらっしゃいましたか・・・。
とうちゃんが憧れ惚れまくるわけですよねぇ。
少なくとも日本人の我々は
日本人であるかの見分けがつきますが
この写真より四半世紀以上経った
某日 忘れもしない
京都の嵐山の漬物店?のお店の方に
中国人と間違われました
『違うニダ』と答えたんですがね
時間が経てば忘れもしますが
時間とは残酷でもありますね
できるなら 小百合と言ってほしかった