ふきの指定席

終生 のほほんな生き様かと思いきや
人生の終盤にきて
ところがどっこいの日々

火宅の人

2020-10-28 05:02:02 | のほほんの記
ポルトガルのサンタ・クルスは
作家の檀 一雄 が滞在したことでご存知の方もいるでしょうが
精神の先行く人がいた場所に恐れ多くて近づけず
ヨーロッパを放浪していた時
ポルトガルだけは 次回にしようとその時は回避した
あれから40年以上も経ってしまったが
未だポルトガルの地を踏む事は実現していない
父ちゃんと行こうとするも
コロナ禍で益々遠のいてしまっている
私は歳を重ねてしまったし 
猫ちゃん2匹の家族が増えてしまった
もう 訪れる事は不可能なのかな
飛行機も苦手になってしまったしね

エログロの映画はどうも苦手で
当時は観る気もしなかったが
1986年に制作された
檀一雄原作の「火宅の人」を観た
グロとは私の場合偏向していて
檀一雄の精神を意味します

30数年も経てば
出演者で黄泉の国に旅立たれた方も当然いるわけで
主演の緒形拳
監督の深作欣二 脚本も書いているのかな…
脇役で出ていらっしゃる 多くの方の当時のご存命を確認し
胸が痛くなってしまった
そして何よりもこの映画 実によかった
この歳になったからそう思えるのかもしれません

主人公の「グロな優しさ」など苦手であるが
緒形拳は実にうまく演じていた
「現実は小説より奇なり」で
そんな人間が私の周りにいたら嫌だけれど
映画だから小説だから許せてしまう

主人公である男は ただただ優しいのだ
その優しさで周りの人間は傷ついてしまうのに
エゴな男の魔性に翻弄され寛容になっていく
それもどれも 人間の姿
 
何もクソ真面目に生きなくてもいい 

多くの人間のエゴな生き様を見てきているから
「火宅の人」を観て 
改めて人に寛容であれとの 烙印を押された感じである
私には人を裏切るなんてできないけれどね


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2 コメント

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Unknown (デ某)
2020-10-28 07:50:32
「ふらんすに行きたしと思へども ふらんすはあまりにとおし」。
今日の「天声人語」の結びに紹介されていた萩原朔太郎の詩の一節です。
そうですか、ぽるとがるに行きたしと思ふ…ふきさんなのですね。
そう思われているかぎり いずれ行かれることでしょう。

「檀一夫が好きです」と言うと大抵の女性が厭な顔をされます。
あの家庭無視(破壊)の奔放さを憎い!と思われるのでしょう。
…と思っていましたが、「エログロ」のグロ!でしたか…。
私は「リツ子その愛」「リツ子その死」を心洗われる思いで読みました。
奔放さに憧れて!ではありません、その哀しみと淋しみに心を掬われて…。
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Unknown (ふき)
2020-10-28 10:03:32
デーさん
朝日新聞はもう何十年も手にしていないですが
「天声人語」のコラムは心にひびく事もよくありました
萩原朔太郎といい
檀一雄といい
我々は一気に昭和のノスタルジーの中にいますね(爆)

ポルトガルを目の前にして
行こうかどうしようかと迷いましたが
もうあの時は旅に疲れていました
今度来る時はじっくりと時間をかけてと思いましたが
時間がかかりすぎてしまいました
もう1人旅は 体力も気力もそして知力も追いつきません

私は行動は大胆でも
実は臆病者で 人の懐に飛び込んで行く事はありません
いつも傍観者
意地悪な人は嫌だなと思いますが 
その他の事では寛容です
人間は 悲しく 面白く 愛らしい存在です
それは
自分が歳を重ねた故 そう思うのでしょうか
やっと 檀一雄が 男としてかわいい存在になりました
余裕です (o^―^o)
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