ふきの指定席

終生 のほほんな生き様かと思いきや
人生の終盤にきて
ところがどっこいの日々

ママンが編んでくれたセーター

2014-10-17 09:22:11 | のほほんの記
ここ何年も 街中でセーターを着ている人と出逢ったことがない
手編み 手編み風となれば 皆無だ
何年どころか 10年 もしくは20年以上も前から・・・見ていないような気がする
それは私の20代の時にまで さかのぼるかもしれない
まぁそれも 東京でのことですが
この季節になると 手編みのセーターのことが なんとなく気になるのは
母親が 個展を開くほど 手編みに夢中になり 多くの作品を残しているからです
遺品として 私も10点ほど 手元に残しています
実はもっともっと沢山所有していたのですが
私は 無常にも その多くを処分してしまいました
処分した中には 大きな賞を受賞した作品も含まれます
これを何故処分してしまったかな
賞を受賞した作品は 私が20代前半のころよく着用したから とても記憶に残っています
猫ちゃんを抱いて このセーターを着た私の写真が 1枚ある ハズですが
この写真 猫も藤色のセーターも そして私ちゃんも 
タブン最高の スリーショットと判断され 何かに載っ記憶があります
なんだっけカナ
写真の構図は100パーセント記憶をしていますが その写真 探せばどこかにある 見てみたい
その心に残るセーターを 処分してしまったこと 
何年経っても母への申し訳なさで 心が痛みます
私も母の影響を受けて 何点かセーターを編みましたが そんな駄作はすっきり処分
父ちゃんに編んだセーターも数点ありましたが 勿論処分 
でも時代の流れとはいえ 人々の生活から セーターが消えて(?)しまったのは寂しい
何年前か TVで日本人の方が発案された毛糸が 
世界でとても人気をはくしているとの報道を目にした記憶があります
編むごとに 色のグラデーションが変化し 1点物の作品が 仕上がります
“芸術を越えた美”
その毛糸の素晴らしさに 息を呑んだ記憶があります
母が生きていたら その毛糸に夢中になるだろうと思いました
私でさえ その毛糸で編み物をしたいと思いましたモン
日本でその毛糸が 生かされている場面に遭遇したことがありません 残念

あぁ~長くなってしまった
毛糸の先が もう少しで見えますからね

最後にママンの手編みのセーターを着た青年の話
私が20代の頃 ヨーロッパ各地を 1人旅していた時
夜行列車で イタリアに向かっている時でした
コンパートメントに何故か私1人しかいませんでしが
ここからは映像記憶で思い出します
人生で何度もリピートしています

途中から青年が乗ってきました
私が1人でいることに驚き 入ってもいいかと
目と振りで私に
勿論いいですよと 私目で返事
私はその時 青年の着ているセーターに釘付けになっていました
蕗色の手編みのセーター 少し茶のグラデーションがかかっています
丸い黒ふちの眼鏡を掛けた 青年の瞳の色と 同じなのです
とても色白で 信じられないくらいシャイな青年でした
私があまりにセーターに 見とれているものだから 青年の顔が真っ赤に・・・
私その時 25歳 26歳・・ 忘れた
青年は 30歳ぐらいの印象ですが ひよつとして20歳前後だったかもしれない

素敵なセーターを着ていますね 手編みですか
ママンが編んでくれました
とても似合っていますね あなたの瞳の色と同じですね
ハイ ママンが編んでくれました
私が着ているセーターも 母親が編んでくれた物なんですよ
とてもステキです この時点で 青年の顔は茹蛸状態

とても気の毒で それ以上話しかけるのはやめましたが

母親とセットで いつもこの青年のことも 思い出してしまいます
今の時代だったら 携帯かなにかで パチリンコしちゃうのに 私の記憶だけとは残念

セーターひとつで 長く書いてしまいました
ここまで読んで下さる 奇特な方は いらっしゃいますかね
ありがとうございます

猿知恵と 比べし我の 浅知恵を


    
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 政治家の不明朗収支・・・ | トップ | 不謹慎でスミマセン »
最新の画像もっと見る

のほほんの記」カテゴリの最新記事