20歳になったばかりの春 夜行列車で上京
大きなずた袋一つを持って上野駅に降り立ちました
ずた袋の形状も完全に記憶しています
何のつてもなく
右も左もわからない東京で生きて行こうと決心しての事です
誰1人いない駅のホームに目をやりながら
発車までの時間を待っていると
営業を終えられた体(テイ)の
演歌歌手のぴんから兄弟のお二人が
ハンガーにつるしたままのむき出しの衣装を両手に持ち
慌てて乗り込んでこられました
どちらがお兄さんかわかりませんが
厳つい小柄のぴんからさんと目が合い
おやっとされた表情が忘れられません
他の車両に行かれましたが・・・
上野駅に降り立った時
風花が舞っていました
でも花吹雪だったのだろうか
その日から 東京の住人になりました
大きなずた袋一つを持って上野駅に降り立ちました
ずた袋の形状も完全に記憶しています
何のつてもなく
右も左もわからない東京で生きて行こうと決心しての事です
誰1人いない駅のホームに目をやりながら
発車までの時間を待っていると
営業を終えられた体(テイ)の
演歌歌手のぴんから兄弟のお二人が
ハンガーにつるしたままのむき出しの衣装を両手に持ち
慌てて乗り込んでこられました
どちらがお兄さんかわかりませんが
厳つい小柄のぴんからさんと目が合い
おやっとされた表情が忘れられません
他の車両に行かれましたが・・・
上野駅に降り立った時
風花が舞っていました
でも花吹雪だったのだろうか
その日から 東京の住人になりました
京都で働きました。
父は警察の捜査願を出して、私は書置きで働く場所も知
らせたので、そこに警察がやってきて「まーせっかくここ
まで来たのでしばらく働きなさい。お父さんにはうまく
説明しておきますから」と言ってくれました。
そのうち保育士試験の合格通知が来たので呼び戻さ
れて おしまいでした。
何をしていたかはあまりにお粗末で話せません。
周りの人はみないい人でした。
昭和はほのぼのとした いい時代でしたね
私は家出ではありませんけれど
そもそも15歳で家を出ていますが(爆)
親に何一つ 反対をされた事がありません
言っても聞かない子供でしたから
上京したその日
東京の町をさ迷いながら部屋探しをしました
やっと四畳半の部屋を借りる事ができ
裸電球の下 膝を抱えて眠った事を
思い出します
あれから43年の月日が流れました
皆それぞれの ドラマありですね
chidoriさんの 人生も 自分の事のようにイメージできます
これからも穏やかに人生を歩む事ができますように
それも心の持ち様と悟っています
今日も素敵な一日を
私にそのような勇気(?)があったら
人生変わっていただろうと思うます
もう一度やり返せるなら都会に暮らして見たかったです。
無いモノねだりは分かっていますが(笑)
それから5年後25歳の時
南半球経由で 地球ひとり旅をやらかします
1年半も遊んでいました
今はもう無理ですが 若さはバカさでした
michiさんの生活に憧れます
でも それ以上に人間のごちゃごちゃした息遣いに ほっとする自分がいます
自然よりも 人間が好きなのかな
東京での 狭い箱生活を 43年も続けています
でも今は
生活に変化がほしい 今日この頃の私です
引っ越しをしたい私と したくない父ちゃん
日々戦っています