ふきの指定席

やはりでしたけれど もうすっきりしました(11)

35年前ハンガリーで経験したことの確信を得たいと 
長年心に抱き続けてきましたが
もう私の心だけに留めておきます
私のブログは この4月にスタートさせました 
訪れて下さる方も少ないので
確信を得る反応はそもそも 無理と諦めていました
今まで ハンガリーの国も含め かなり大きな媒体に
何回か私の思いをこめた 同じ内容の記事を載せたことがあります
それでも 反応ナシでした
なにしろ35年も前のことです
帰国してすぐハンガリーのことを調べはじめました
ブルーライトヨコハマがなぜ ハンガリーの地で流行っていたか
なぜ日本人が あの時は 尊敬もされ持てはやされたのか
ちなみに今はハンガリーの人々は 中国人寄り
日本人はnnn~みたいですよ
今だったら ケッとされ日本人は相手にされないのかも

情報は外部からもたらされるもの
その判断は個人に委ねられると思いますが
人間とは 深いようで浅い
人の考えは ときにはある種のコントロールで いかようにも変わる
それは 人の力の及ばない ナニカナノカ

私は35年前 ハンガリーの地で
夢のような経験をしました
列車の車窓から沈むゆく夕日を愛でながら
多くのハンガリーの人々から 日本の歌でもてなしをを受けた
これが夢の体験のピークです
それ以後も 語りつくせないほどの 幸せな経験をしていますが
もういいですね

シンシカ ジョゼフ氏とのその後ですが
帰国して1年ほど何度か文通のやり取りはしたものの 自然と音信不通に
私も変にかんぐりすぎて
国の体制のこと 人種間のことは 聞いてはいけないような気がして 
触れないし 書くこともありませんでした 
検閲でもあってジョゼフ氏に迷惑がかかったら大変・・・ナンテ
とんだ時代錯誤のオバカさんです
でも 男達が外に出てすぐジョゼフ氏が言い放った ヘイトロシアが
私にはかなり衝撃で とても慎重になってしまいました
1989年に起きたこと いっしょに喜ぶことができたらよかったのにと 
今でも時々思います

思い出旅はココデ終りデス
ここまで読んで下さった方
ありがとうございます
心より 感謝申し上げます



板消しを されて喜ふ 姥の花      



 

読んでいただきありがとうございます ♡♡♡

コメント一覧

ふき
茉莉様
http://blog.goo.ne.jp/asanotokino
こんにちは
コメントを頂戴し とても感激しています
ありがとうございます

ブログをスタートして4年と3ヶ月程になりますが
今年に入って細分化していたカテゴリーを集約させました
ただ ハンガリーでの事は 自分の心にいつまでも光り輝いていて別格です
『のほほん』に集約することはできませんでした(爆)

デンマークのとある町で 
当時の西ベルリンに音楽の勉強で国費留学をされていた 日本女性とお会いしました
後日図々しくも 西ベルリンの彼女の下宿先にお邪魔をしたことがあります
当時ソ連がアフガンに侵攻していたこともあり
西ベルリンは 東ベルリンの中にあって 陸の孤島でしたから
この訪問も結構ドラマありでした 
彼女は西ベルリンでしたが 
日本の優秀な若者が 国の体制に関係なく 多く留学して学んでいる事を 私も目の当たりにし
彼らを誇らしく思ったものです
西ベルリンで学ばれていた女性は『山田衛子』さんと名乗られていました
今もドイツで音楽家としてご活躍されているはずです

ハンガリーでの事は
我が人生で出会った最初で最後の夢物語です
二度と再びこのような事は経験できないと思います
感性豊かな若い時期に 若者よ旅に出ろと 今も声を大にして言いたいです

中国でも色々やらかしていますよ

我が人生 『旅と居酒屋探訪』で 終結させる所存です
旅を語らせれば
人との出会いを語らせれば
際限なく 語れます

リコメは一旦閉じさせて頂きますが
ブログを紐解いて下さった事 コメントを頂戴した事
改めてお礼申し上げます

今酒を飲みたい気分です 

茉莉
いまさら・・・ですが
ふき 様

このカテゴリに気づき、初めて一連の記事を読みました。
幸いにも・・・と言いますか、素敵な体験をされたのですね。

私自身は社会主義体制下の東欧・ソ連を訪れたことはないのですが、クラシック音楽をしている関係で当時の話を聞くことがあります。(社会主義体制下でも、留学されたりコンクールに参加される音楽家が大勢おられましたので)
厳しい一面からいきますと・・・
外国、しかも資本主義国からの来訪者には必ず監視、場合によっては密告もあったそうです。
スパイ行為や自国民の外貨(主に米ドル)獲得の防止(亡命につながるので)、不審な動きがないかを確認するためです。なので、(公安くんがついていると)現地の人はなかなかふき様には声をかけることはできなかったことでしょう。密告される恐れがありますから。
一方、別の面から見ますと、東洋人が珍しいとか資本主義国の話や東洋のことを知りたいとか、そもそもスラヴ民族の方々は非常に人情味があふれかえってる(あえて言うなら寅さんみたいな!?)ところがおありなので、「こんなちっちゃな東洋の女の子が1人で世界の果てから我が国にやってきてくれた!うれしい!おもてなししなくちゃ!」という前のめりな様子はきっとすごくあったのではないでしょうか?
私はハンガリーに行ったことはありませんが、近年ポーランドに行った時に、ワルシャワ等の都会から離れ、少し地方に行き、さらに現地の人ばかりがおられるようなあたりをぷらぷらしていますと、しばしば心配して声をかけてくださったり、「大丈夫かな?」といった様子で見守ってくださったりと蒸し暑いほどの(笑)心配りを受けました。
スターとは言いませんが、「いえいえ大丈夫ですよ〜」と恐縮するレベルではありました。

公安のおじさまは、お仕事だけど、とても心優しいお方で「ちっちゃな東洋の女の子」を心配してもいらしたのでしょうね。

最後に、以前読んだ旅エッセイに載っていた、まだまだ資本主義国の人が自由に行き来できない時代(ほとんどの人が人民服を来ていた時代)の中国を旅した人が体験された大笑いなエピソードを1つ。
友人と2人で旅をしていた彼女。
町中を歩くたびに、現地の人がわらわらとついてくる。
道がわからず、立ち止まり、地図を開こうものなら、すぐに人だかりができてしまう。それも、ものすごい勢いで。
あまりにも人が集まりすぎるので、彼女らは人だかりをかきわけてやっと輪の外に出るも、その後も人だかりめがけて人が次々押し寄せてくる様子を見て、腰がくだけた、と。

長文、失礼いたしました。
ふき
おはようございます
http://blog.goo.ne.jp/asanotokino
某医さま
ちょっと補足させて下さい
ハンガリーで経験したことは35年前(1979)大昔(笑)のことです
ジョゼフと1989年に一緒に祝いたいと思ったのは
アメリカとソ連の冷戦が終結したからです 東欧に
“自由”!が ジョゼフが切望していたことが現実になりました
ハンガリーで経験した 夢のような時間 ホントに現実だったのか・・ 誰かにそうだよと 私の心にハンを押してほしく思い ン十年経ちました
デモもういいかなと・・・
ハンガリー以外の旅の思い出も星の数ほどあります それはまた折に触れ書くことがあるかと
後写真ですが 兄に無理やりオリンパスペン(フィルム36枚)を持たされ 倍数72枚撮れたと思いますが それだけしかありません  ハンガリーの写真なんて1枚もありません 当時の私は写真を撮るとの感覚は皆無 無理やり持たされたカメラで写真を撮ることすら面倒と感じ フィルムを入れ替えることなどしませんでした
長くなりました
アトハ・・閲覧して下さる方の私の認識は ズレていました 感謝しても余りある数字なんですね 失礼な発言で恥ずかしく思います この場をかりて改めてお礼申し上げます ブログでまた頑張ります(ナニオだ?)
某医さん なんだか支離滅裂に なってきましたこのヘンでやめます 誤字脱字お許しを! 

デ某
1990年前後の東欧・・・
http://blog.goo.ne.jp/00003193

> もう私の心だけに留めておきます

失望は、思いの深さ熱きことに比例するのでしょうか・・・。
でも 心にとめておいたことを11回にわたり吐露され
「北京の蝶・・・」ではありませんが、
行間の溜め息とともに然るべく届いていることでしょう。

> 訪れて下さる方も少ないので
> 確信を得る反応はそもそも 無理と諦めていました

僅か半年も経たぬ間に私の一年の三倍を超えるUP、
そして3万を超える閲覧・・・は並み!ではありません。
リトマス試験紙のような反応はあり得ますまいが・・・。

それにしても1990年前後の東欧の出来事・・・。
国とその民の確信の曖昧を如何なく証明しました。
その時代に・・・その時代にしか得られない場所で過ごされた得がたい時間、
とても貴重に思い、とても羨ましく思いながら読ませていただきました。

ハンガリーのこと、私も以前少しだけブログ※に記しました。
本文に足らざるはそのコメント欄にて幾らか・・・。
※閑話休題「フェスティバルホール・・・二つの公演」
http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b19f9eafe96310d72e9353c2a4fc424b

> 思い出旅はココデ終りデス

「思い出旅」は兎も角、「旅の思い出」をまた折に触れ書いてください。
旅の思い出の写真とともに・・・。
ますますのご活躍とご健筆をお祈りします。
ふき
コメントありがとうございます
http://blog.goo.ne.jp/asanotokino
輸那括絲子さま
先日は 読者登録をして頂き ありがとうございました
昔の話に興味を持って下さり 恐縮致します
あまりにも長く引きずってきた思いですが 今日で私の心に封印しました 読んで頂いた皆さんには 抽象的な内容で 解りづらい面があったと思います それでも読んで頂き 感謝の言葉しかありません
私は川柳 それも泥臭い川柳しか 詠めません 輸那括絲子さんの俳句の世界は 私にとっては天上の世界です ご縁を機に 日々学ばせて頂いています 今後ともよろしくお願い致します
輸那括絲子
http://blog.goo.ne.jp/hitomikouhei
むずかしいお話しだなと想いつつ、すこしだけは読ませていただきました。おっしゃるように他国のことに同情しても理解するまではナカナカです。精一杯の対応できたら佳しとしなければ自分が落込んでしまいます。私本意ですがコメントさせていただきますね。
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