昨日は意外に歩いていました
お友達とくっちゃべりながらの歩きはただの動きです
寅さんに会いに柴又に行って来ました
40年以上も前に会った時の寅さんは もっと大柄な印象でした
お友達とくっちゃべりながらの歩きはただの動きです
寅さんに会いに柴又に行って来ました
40年以上も前に会った時の寅さんは もっと大柄な印象でした
その時は寅さんでもなく 渥美清さんでもなくの私人
こんなに小柄な方だったかな
顔は画面のまんまの四角でしたが 生身の寅さんは小顔でした
「私人」であろうとも
全身白の出で立ちで 渋谷駅でのそれは オーラmax
「キャ~渥美さんだ」の私の声に反応され
顎で挨拶を返して下さいました
いっぺんに好きに(⋈◍>◡<◍)。✧♡
あの時代の 東京の人は皆紳士淑女で
渥美さんに気が付いても
どなたも無関心を装っていらっしゃいました
その時友達数人と駅で待ち合わせをしていて
皆に「やめろ!」と 私のミーハーな態度を非難されましたけれど
で 先日映画館で寅さんと再会しウルルン
ならば
柴又に来るしかないではないですか…
こんなに小柄な方だったかな
顔は画面のまんまの四角でしたが 生身の寅さんは小顔でした
「私人」であろうとも
全身白の出で立ちで 渋谷駅でのそれは オーラmax
「キャ~渥美さんだ」の私の声に反応され
顎で挨拶を返して下さいました
いっぺんに好きに(⋈◍>◡<◍)。✧♡
あの時代の 東京の人は皆紳士淑女で
渥美さんに気が付いても
どなたも無関心を装っていらっしゃいました
その時友達数人と駅で待ち合わせをしていて
皆に「やめろ!」と 私のミーハーな態度を非難されましたけれど
で 先日映画館で寅さんと再会しウルルン
ならば
柴又に来るしかないではないですか…
40数年前、博多で開催されたカンツォーネ歌手「ボビーソロ」のコンサート会場に佐賀の田舎からやって来たもうすぐ16歳のオイたちは大人たちばっかしの客席で浮いとっていたとです。
♪ほほにかかる涙のイントロが流れ出したとです。
そしたら急に隣のAが立ち上がり「ボビー!!!」と叫んだとです。
周りの冷か視線と冷笑が何となく感じられたとです。
その後、Aは皆から「ボビー」と呼ばれたとです。
ばってん
オイはボビーと叫んだAの気持ちがよう分かるとです。
あの時オイもミーハーになれんかったとが
今でも悔やまれるとです。
~淋しくて
さば読みました。
40数年前では無く50数年前でした"(-""-)"。
おはようございます
お友達「ボビー」さんの当時の気持ちがよくわかります
東京に住んで45年になりますが
若い時は人の境界線を意識しない事が多く
有名人知人友人を問わず
知っている「人」に会ったら 好意を持っている人に限りますが
すぐ挨拶をしちゃっていました
東京にはそんな出会いが多くあります
私があまりにも自然なもので
相手が私にあわせて お茶までつきあってくれたことも
途中から お互いに間違いに気が付きますが
さらりと自然に さようならする術も 身についています
私のキャパは半世紀単位
人類皆お友達
「さば」さば しておりますですよ 😊
柴又はじめ東京には縁がございません。
が、映画「男はつらいよ」は全作品、封切で観ています。
渥美さんのファンではなく 寅さんのファン。
渥美さんて 昔っからファンには冷たかった由。
とりわけ晩年は体力維持のためか ほんと!素っ気なかった由。
まぁ 寅さんのファンとしては 渥美さんのそうした生き様は
「見上げたもんだよ風呂屋の煙突」ではあります。
それにしても一極集中の東京、有名人も例に洩れず!
無愛想な渥美さんが 多少なりふきさんにお愛想したってことは
そりゃ やっぱり ふきさんの人格だわ 放浪に鍛えられた人格!
渥美さんに限らず みんな「ふき」だまり?に惹かれる。
ところで ボビー!のお話は えぇはなしやなぁ と。
ライブ大盛り上がりのアリーナでさえ
ボビ~~!なんて叫ぶと 意外に孤立感を覚える筈ばい。
み~は~になれんかったhaさん そりゃ仕方なかばい。
私 妻とエルトン・ジョンの日本公演に三回行きました。
えると~ん!って叫ぶと L豚!にきこえやしないかと...
すでにぷっくりし 美声も少し皺枯れてから!でしたからね。
ボビー!て叫んだなかなかの人格者!の域には達しませんばい。
末尾ながら 有名人に無関心を装う東京の紳士淑女さん
大阪のいなかもんには なんか やらしい話や内科医!
その点 きゃぁ~っ! って素直に反応しはったふきさん
ちゃらちゃら流れるお茶の水じゃ やはり見上げたもんだよ...
私は完全にボビーをやってしまうタイプ
場の空気は無視
プロレスを見た時は
興奮して徳光さんに「うるさい」と叱られ
プロレスつながりで
馬場さんが奥様と日航ホテルでデート中に
友達みたいに話しかけ
元カノみたいではないところが
私らしいけれど
はたまた今をときめくラクビ―観戦で
イギリスのどっかの大学と早稲田の試合で
「ノーサイド」なんて洒落た関係とはつゆ知らず
英語で毒はきまくって応援したら
皆さんの目が 試合より私を見ていて
大ヒンシュクをかいました
などなど
20代の私は怖いもの知らず
結婚をしてからも 色々ありますが
今は借りてきた猫ちゃんみたいにおとなしくなりました
こんな面白い出会いの多くある東京に
「縁」なく過ごしているデーさん
「見上げたもんだよ屋根裏のフンドシ
たいしたもんだよ カエルのションベンとくら~」
柴又はすごい人でした
「昭和な場所」は穏やかな気持ちになり
矢切の渡しも往復し
去年の台風19号の爪痕も垣間見
それでも
人々は穏やかな時間の中に この地に多く集っていました
のどかな風景に 我が晩年の凪
やることはやりつくした人生
でも
「粋な姉ちゃん立ちションベン」
その域に達するには
まだまだ
もう少し楽しむっちゃ 😊