ふきの指定席

終生 のほほんな生き様かと思いきや
人生の終盤にきて
ところがどっこいの日々

人生の束の間かもしれない

2014-12-04 05:30:24 | のほほんの記
私は常に自由な精神を意識し生きてきました
自由に生きることは とても責任を伴なうことです
人間社会に生きる以上 自由“奔放”であってはいけません
人は一人で生きているのではありませんから
自由に生きる それは結構大変なことで 心に力がいります

クソ真面目で バカ正直な人間であることを あえて意識し(イシキダケ でも逸脱しない)
行動は時に大胆で自由 それが30歳までの私の生様でした
“イマ”の日本人に生まれたからこそ できる自由です 
 
結婚してからも 自由な精神の基軸は不変ですが
親であることの責任 “子”であることの責任 勿論社会人であることの責任が 
自分の個より優先されます それも人生のとても幸せな時間です
特に 幼き我が子と 向き合う至福の時間 
これに勝る幸せは 先の人生にも 後の人生にもないです 断言できる確信です
幼き子に母ちゃんよ呼ばれる幸せ 今思い出しても心がとろけます
事実母ちゃんと呼ばせていました
息子が3歳頃だったと思います
都内のデパートで買い物をしていた時 息子が5mほど私から離れたことがありました 
私は勿論息子を見守っていましたが 
あわてた息子が「母ちゃん」と 
それはそれは大きな声で 私を探し求めました 場は一瞬凍りつき そして微笑みに
いつの間にか 子供達は お父さん お母さんと 呼ぶようになりました 残念
父ちゃん 母ちゃんと呼んで と 何度頼み込んでも ダメでしたね 

先のブログで
“自分の人生をシンプルにと 軌道修正しつつ ここ何年 生きてき・・・
あまりにもスムーズに断行してしまい チョット待った! でもいいかぁと
一人先走って 照れている状態・・・云々”なんてことを書きましたが
これが 今の私の人生の立ち位置です

親達も潔く黄泉の国に旅立ち 子供達も大人になり 勤め人でもなく 
究極日本人としての責任だけの我が身 
都会のマンション住まい故 地域との係わりも第三者に委ねることができます
名実トモに自由人なったんですね
好奇心旺盛な私 サイトでも『自由人』を見つけてしまいました 
“自由人”とモロすぎる表現の下品さはいかんともしがたいですが 
亀の甲より年の功的感覚で オバチャケたいと思います
人生をやり終えた私 店じまいを早くしすぎてしまったから 
残るは野次馬的好奇心のみ でも健康だからこそ オバチャケれますが
残念体調がトホホ 人生はままなりませんね 今日は恐怖の検診日です
自由人のシメは いかようになりますか
こんな事 深夜に書いています
だって自由なんだもーん
家事そんなもの30年しています なんとでもなります
嫌いではないしね
父ちゃんは今日沖縄泊まり出張 もう起きてきました
皆さん 今日も素敵な一日でありますように!


  せまいニャァ~  読んで頂きありがとうございます
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