先日は約半世紀ぶりに立山に赴いたが
当時の記憶とは全然違い
人の手も介在し モダンでより居心地のいい場所に様変わりしていた
山に登らなくても山に行ける場所である
それはそれで心底有難く思う
この年になれば自力でたどり着けない場所だからだ
ずっとそこにいても『飽きない場所』がある事が嬉しい
18歳の時富士山と対峙できる山で1ケ月ほど過ごしたことがある
5年後の23歳の時に再訪して以来そこには登ってはいない
その2年後の25歳で10年選手の山女も返上してしまった
私がいたその青春の山をブロガーさんが紹介されていた
全然変わっていないし
居する自然は 人の儚さの前では 変わりようがないのだね
はからずも時同じくして半世紀ぶりに対峙する事ができた両者
生きていればこそ 行動あればこその 心の昂りだ
沢山の素敵な出会いもあった
若き感性は その全ての人を記憶している
意外にそばにいるやもしれず
今のネット社会ではその記憶の糸を手繰り寄せることも簡単であろう
昨年の事だったかな
実際テレビの画面でお見かけした方もいる
半世紀ぶりでも確かな記憶である
ブログにもその事を記していると思う
思いに温度差があれば気恥ずかしいから
自ら手繰り寄せる事はしないが
「やぁ元気だった⁉」と50年後の君に逢えたらいいね
綺麗でしょ 私がジャマイカ
熱中症にならないでね
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ふき
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