震災に関する報道は全く見る事ができない
ブロガーさんが震災の事にふれている記事だけは読むことができる
心に抱える重さを吐露する場所が同じであることの安心感
こんな重きはひとりで抱える事などできない
4年ほど前より何度も東北各地を訪れるようになった
昨年は震災の爪痕をそれこそなめるように歩いてきた
言葉もなく 人々の強き魂を思い 襟を正すのみの私だった
今朝は激しく雨が降っている
こんな日の雨は嫌である
晴れていても嫌である
何でもかんでも嫌である





余程の事が無い限り
人生と同じ数
朝新聞を読み 夜はお風呂に入る・・・
元気である限り続くであろう日本人の日常‥
今は多様化しているか
その鉄壁の習慣も
新聞は字が見えづらくなり 購読を止めて数年になる
年を重ね ご多分に漏れず
昔の記憶は鮮明でも 昨日のことも覚えられない身の上になった
新聞の購読もいつ止めたっけかな ほんとは記憶が曖昧
でも半世紀以上は新聞を読み続けた事は確かです
その事だけでも 日本人て凄すぎると思っていたのに
毎日入るお風呂も
髪の毛を洗うのは1日おきになり
身体を洗うのもそれに追随するように1日おきになった
若くない身体はあまり汚れなくなり
洗いすぎる弊害に悲鳴をあげるようになったからだ
それでも湯船だけは毎日つかっていたが
このところの目まいで 昨日はさすがにお風呂にはいる事ができなかった
この1ヶ月で 2~3回同じ理由でお風呂に入っていない
いついかなる時も 諸般の事情で お風呂は父ちゃんより先に入る
お風呂に入ったかの痕跡は残るものだが
昨日初めて私がお風呂に入っていない事に気が付いた父ちゃん
「呆けた?」だって
単純に私がお風呂に入り忘れたと思った父ちゃん
私の体調の悪さなど 気がつくはずもなく
結果すべてボケで収める居直りの心地よさ
人間これでいいのだ
たっぷりと寝た私は 夜中に起きてブログっています
みなと同じではないからっと言って 私はまだボケていませんから
まだらボケかもしれませんが
せまいニャァ~ 読んで頂きありがとうございます