昨日は鼻水子 鼻をかみすぎて 鼻の奥が痛い
老いた粘膜に対して プ~ンの力加減が微妙と気が付くのは翌日の事
人間稼業も楽でなし
娘が金曜日に家に来るので 昨日のような天気の前の日に 布団を干しておいた
ふかふかにはなったが 花粉が…
鼻水子の粘膜が ブチ切れ 鼻血ブー
家族間では娘だけが 花粉症とは無縁だ
年金がドウタラコウタラの葉書が届いた
字が小さすぎて読めない
対象者は年配者限定であろうに 米粒のような字で連絡してきやがって‼
いままで厚生年金の方の申請もしていなかったので
その分も一括で振り込みますとの 連絡らしい
父ちゃんに読んでもらった
バイク代がこれでチャラになったとぬかしおった
年金1年生 長く生きてやる
今週末 40年ぶりに 昔の仕事仲間と会うのに 着て行く服がない
タイムリミットだ
男子も参加するからややこしい
冷静に考えれば参加者の中で私が1番若いはず
なんか 意識しています 今さら見栄をはってどうする
ここまで生きれば糞味噌いっしょだ
ジーパンで イGO
板消しを されて喜ぶ 姥の花
真冬の寒さでも 毛布1枚で寝ています
自前の肉布団があるから 暑さ対策は無理でも 寒さはしのげます
今朝 自分の花水木鼻水たらりで目が覚めてしまいました
寒い
なんじゃこりゃ
45年前の4月 20歳の時 夜行列車に乗り
マドロスさんの如く ボストンバッグ1つを肩に 上京しました
上野の駅に降り立った時 4月の東京の地なのに 風花が舞っていました
今は夜行列車もなくなり マドロスさんも ボストンバッグは引っ掛けないし
なんて
当時でもそんな船乗りはいません
私が規格外の人間でした
風花の出迎えに 私らしい人生の門出を思い
今日のように雨で泣くてなくてよかった
令和の若人達に 幸あれと祈ります
文中「ボストンバック」と記していますが
肩にかける ビニール素材の 絵にあるずた袋その物を指します
当時そのずた袋の事を
私の住む世界環境では「ボストンバック」と言っていました
平成の今 ボストンバックはボストンバックであり
通称は間違いの範疇かもしれませんが
あえて当時のままで 書いています
今朝の朝食だが 父ちゃんの食べ残しが
1粒 1枚 1個
取って付けたように 残っていた
結婚してはや35年 平日は6時朝食の父ちゃん
いつもなら 味噌汁にその痕跡があり
私は当たり前のように その残りを自分の口の中にポンと入れ
食後の食器をシンクに持って行く
何故に綺麗に食べないのか 「一イチ」を残す事の意味がわからない
わからないまま 35年の月日が流れてしまった
今朝のそれは 確信犯のように思え その事の意味を35年目にして初めて問うてみた
何故なのかと 意味がわからないと
父ちゃんは にやりとしたまま 無言でした
まぁいいか
いつものように それは私の 胃に収まりました
もち 米粒もよ ヌ
好き勝手に生きて来 多分これからも好き勝手に生きて行くであろう
それは身の丈にあった生き方であり
人に迷惑をかけず 意地悪をせずを信条とし
その事だけは頑なまでに 守って来た
私の「身の丈」とは
とどのつまり
端からみれば小さな小さな世界で
私だけの自由な宇宙空間である
「踏まれても 根強く生きよ道芝の やがて花咲く春は来るべし」と
10代の時 恩師からかけられた言葉がある
花咲くことはなく 枯れようとしているが
踏まれても根強く生きて来た
隅っこで 目立たず ひっそりと
その立ち位置は 踏まれる事があるにしても
程よい風も陽も当たり
自分にとっては居心地のいい場所であり続けた
何のてらいもなく生きているが
人生の先輩から「波乱万丈」の人生だねとの言葉に
私の小さな生き様に なんと返していいかわからなかった
自分では「波乱万丈」の人生だとは
微塵も感じた事もなくの今日までの日々
本当の所 自分では自分の真実が 見えないものなのかもしれない
未だ大海に出でずの私 ちと情けない
遠くに オリンピックに向けて 突貫工事中の国立競技場? の姿が
完成した暁には ここから見える景色は どんな風に生まれ変わるのだろう
子供達が小さい時
はたまた20代の時 男友達当時付き合っていた男性と
それから それから…
沢山の思い出がある 新宿御苑に
今度は
それぞれ世代の違う平成の終わりに出会ったお仲間と それこそ数十年ぶりに花見に来た
いつの間にか 入場料が必要な場所になり
65歳になったばかりの私は 初めてシルバーの権利を行使 入場料が半額?になります
見た目は40代もとい50代の私ちゃう60代前半 そこそこだけ若く見える私
身分証明書なる物を持参してこなかった
持つて出たのは キャッシュとテッシュとスイカと手ぬぐいだけ オットースマホも ダ
「誕生日はいつですか」
「元号or西暦 どちらで答えましょうか」
今日の日付は言えなくても 誕生日ならまだ答えられます
令和になれば時代が遠すぎて 答える気がしなくなると思うがね
若い受付のお兄ちゃんに 冗談が通じるはずもなく 元号でお答えしました
「生まれたて」のオ婆です なんでも初めての事は嬉しい
この年になると「最後」の事が多くなるからね
いつの間にか こんなに人が増えてしまいました
おしゃべりと 食べる事に夢中になっていたから 全く気が付きませんでした
この場で確かに存在した その時々の自分を慈しみながら
楽しくて のどかな 時間でした
こんな花見も すこぶる いいものです
板消しを されて喜ぶ 姥の花
知人の奥さんが数年前48歳の若さで旅立った
ガンであったが 知人は最後は奥さんによく尽くしていたと思う
夫婦に子供はなく 奥さんの方のご両親と同居だった
家は知人名義である
奥さんが旅立って 3ヶ月もせぬ内に再婚
その家で一緒に暮らし始めた
人間とは かくもおぞましくなれるものなのか
当時の私は
やりきれない思いの方が強く 知人との関係を断ってしまった
私は頑なで 了見の狭い人間だ
風の便りで 子供も成しているらしい
元奥様のご両親の消息は誰も知らない
芸能界のやんちゃな男達が相次いで旅立ってしまい
そんな知人の事を思い出してしまった
生きている人間は幸せになる権利がある
縁エニシの時間 状況など 関係なく
人は
幸せになってもいいのではないかな
今の私ならそう思える
幸せとの思いも
辛いとの思いも
根っこのところは同じで
個の思いに他ならないから…
板消しを されて喜ぶ 姥の花
父ちゃんと2人暮らしになって 作る事がなくなった料理が色々とある
天ぷらも現世では家で作る事はないと思う
私自身がもう揚げ物は食べたいとも思わない
外食は別であるが
ただ父ちゃんはまだ社会人現役なので
粗食というわけにはいかない
連日仕事が忙しく帰宅時間が23時を過ぎてしまう
胃がもたれない物をと思うが でもこってりした食べ物を身体が要求している父ちゃん
作らなくなった料理には ハンバーグもある
手作りをすると高くつくので 出来合いのハンバーグを買ってくる
私は基本食べないので 買ってくる出来合い物は いつも1人分である
自分で料理をすれば必ず味見をしますが
出来合いは物によっては味見もできなく 信用するしかありません
で昨晩の夕食はそのハンバーグを
父ちゃん 美味しそうに食べ 完食しよった
天邪鬼な私は ちと嫉妬 1個398円税別 それでも家で作るよりは安くつく⁇
ハンバーグも我が人生においては長く食べていない
ほんとは好きなのだが
私 食べる物も 身に着ける物も 自分に対してはケチです
それでも 父ちゃんは私の身体を見て 口に物を入れると嫌味を言う
因果で哀れな自分よのう
パンと 米と 酒で 幸せハッピーの 糖尿道 まっしぐら
今のところまだ発症はしていないと思うが
自然体で生きる事はげに難しか
身体の重さは 頭の軽さに比例する *私個人の問題ドS
板消しを されて喜ぶ 姥の花
今浅蜊にドはまりで それも週一でボンゴレを食べています
美味しすぎます
ワインをしこたま飲み爆睡していたのですが
隣家の男の 暴れる声で 目が覚めてしまいました
思いは複雑ですが これ以上は何も書かないでおきましょう
平屋の古民家に限定して 物件探しを継続中ですが
父ちゃんは完全に 一抜けしています
私は諦めていませんから
年を重ねてしまった事で 現世で諦める数は 日毎感覚で増していきます
現実の厳しさを考慮しつつも 一縷の望みをよすがに邁進
物欲は全くない私ですが
人生の最終章 穏やかなる黄昏の時に身を置きたいと願う事は
人間としての 最後の私の業です
今月は かつての仕事仲間達と40年振りの再会をします
「着て行く服あるのか」と 父ちゃん
「ない」
で 一緒に買いに出かけたのですが
私ひとりだと 結局買わないと 父ちゃんはわかっています
で ブラウスを購入
勿論Lサイズ LLでもよかったかも
LサイズがSサイズである現実・・・
父ちゃんに見栄をはってしまいました
二の腕がパツパツ
結局 身を取り繕う事完結せず
何故に痩せんと ボンゴレ❣