我が人生で初めて糠漬けに挑戦したのは今年に入ってからの事
母親が作っていたぬか漬けの味をどうしても再現したく思ったからだ
漬物がとても好きだけれど
父ちゃんが漬物の類は全く食べないので
我が家の家庭料理から遠のいてしまっていた
ぬか漬けの作り方を色々調べてみたが
要は「あれだけの量の塩」をどうしても使う気になれず
ぬか漬けの旨味を引き出すことができないのだ
もう作るのは諦めようと思うが
せっかく作ったぬか床である
もう少しだけ ぬか漬けを作ってみる事にする
全然美味しくないけれども
美味しくなければ そんなに量も食べれず
その内諦めもつくだろう
私の諦めとは「今生ではもうなし」ということである
そんな根性無し今生無しが山のように増えてしまった
日曜日父ちゃんはツーリングに
私が猫ちゃんと幸せに現を抜かしているのと同じくらい
バイクにのめりこんでいます
楽しくて仕方がないと 心底ご満悦
コロナ禍に遮断されていなかったら
父ちゃんはもっと暴走し 弾けまくっているに違いありません
大学を卒業して1年たらずで私と結婚をしてしまったので
大好きだったバイクは2年前よりやっと再開する事ができました
57歳になっていました
来年は定年を迎えます
実は私もバイクが大好きなのです
三好礼子さん 当時は山村礼子さんと名乗っていらしたと思うが
私と同年代でバイク乗りで有名な女性がいました
憧れました
私のスピードに対して凶暴になる性格は
車もバイクも凶器になると思い
免許を取ることはなかったのですが
悔いが残りますね
父ちゃんは 今でもこの私にバイクの免許を取ればといいます
ただの人間じゃらしで からかっているだけでしょうけれど
スクーターなら 取れそうな気がしてきた
自転車さえ今では乗れないのにサ
さ~て 朝ごはんの準備だ!
猫ちゃん達が
母ちゃんと 母ちゃんと ミャアミャア うるさいや❣
お正月年末年始娘に逢いたかったが
この状況下では無理と諦め
コロナの感染状況を見極めたうえで
来るのは来年にすると言ってきました
寂しいですね
仕方がありません
やたら65歳以上の高齢者はと
政府もマスコミもうたっているので
娘は「高齢者」の母親66歳である私を
マジ心配し気にかけてくれています
そう言えばクリスマスもありますね
なんかもうクリスマスなんて関係ないですけれど
自分の気持ちがあまりにも素っ気なく可愛げがないや
と思い
慌ててサンタさんを登場させました
おどおどしい世の中に サンタさんは何を思うのでしょうね
昨日のブログで
「酒呑みたい」と締めくくり
酒ぐらいは呑めるわいと 我が家は酒蔵の如し
手を伸ばせばそこにアルコールがアール
父ちゃん 仕事がめっちゃ忙しく
帰宅が10時を過ぎてしまいます
以前なら飲んで帰るのが常ですが
早い話
父ちゃんと晩酌をしたわけです
ビールが旨か(⋈◍>◡<◍)。✧♡
なんと私ビールコップ半分で酔っぱらってしまい
ぶっ倒れてしまいました
その この世の物ではない物音に
猫ちゃん達は 脱兎の如く2階に逃げて行きました
元々酒好きなのに下戸体質
でもビールでコテッは初めて それも半カップ
よほど体調に変化ありか
猫ちゃん達に怖い思いをさせてしまった
いつもは私を守ってくれる体テイなのに
いざとなれば 彼らも逃げてしまうのね
当然か
父ちゃんなんか あざけりの眼差しだったもんね
守ってあげたくなるような
そんな女性になってみたい とは思わないけれど
なんか 人生損をしているような気がする
昨晩はキムチ鍋
土鍋を素手で おりゃ~と叫びながら
配膳する私がいけないのだろうか
ひろし君は時々淋しそうな表情になります
ひろし君も人間の歳に換算すれば 20歳を過ぎたばかり
悩める年ごろですもんね
このひろし君も私の膝の上に乗ってくるようになりました
成猫になってから我が家の家族になったので
甘え下手の猫ちゃんです
猫ちゃん達の心理が日に日に変化 進化なのかな
変わるので ついて行くのが大変
あれだけ好きだった猫部屋より
今は 下界リビングがお気に入りのよう
猫部屋で3時起きに変化あり
ここ何日は ソファで3にんで寝ています
私のお股にうたちゃん 胸にひろし君
猫ちゃん達は巨大🐈の自覚無し
15㎏の重しが 私にのしかかります
石打ちの刑にあっている感じ
ドラマだとそんな刑にあっているのは はかなげな美女
生涯はかなげとは無縁の トンだおばさん
この世で一番強き者ハートだけよなんじはおばさんなり
同情もされず 金ははぎとられ こき使われ
そんな相手が
猫ちゃんなら 全て受け入れ 我寛容なり
今年も 来年も
コロナを蹴散らし
下僕の道を生きてやる
でも そろそろ 人間との戯れが恋しくなってしまった
みんなに逢いたい
どこかに行きたい
酒呑みたい
実家は姉の代でもう終わり
ひとり暮らしです
今年69歳になる姉ですが 全ての管理が自分1人では
手に負えなくなり 終活を初めています
姉は今まで結婚することもなく 独身を貫いてきました
男性陣には人気の姉でしたが
妻子ある男を想ったまま 時が流れてしまいました
私もよく知っている御仁ですが もう黄泉の国に旅立っています
妹目線でしかその男のことを見る事ができません
ひどい男です
ちょっと名のある男でしたので
報道でその男の訃報を知りました
その時 積年の恨みをブログに書いたかも
なんのかんので 独身の姉には大変なご先祖様の遺産の管理
負の遺産だから 親族でだれも 後をつぐと手をあげる者はいません
私とて思い入れはあっても もう何の力もなしです
柿の木 栗の木等々
甘柿の木1本を残して全て伐採
柿の木など10本以上はあります
ずっと奥の奥まで実家の敷地とはつゆ知らず
正確な本数を把握していませんでした
姉とて30数年ぶりに故郷に帰ったので 把握していず
畑仕事も姉ひとりでは大変になり
畑の大半を 除草シートなるもので覆ってしまったのです
過疎の村と言えども 集落なので
草ぼうぼうの状態で放置することはできないとのこと
我が実家は「たいそう(爆)」な古民家で
リフォームもすんでおり
意外にそれなりの値で買って下さる人もいると思いますが
姉本人にその気持ちはなく
自分が先か 家が先か
朽ちるまでの 魂のせめぎ合いと のたまっています
ふたりで延々と 長話は続き
私は殆ど聞き役です
どうにもならず
どうすることもできない
自分達の未来 時間
終わりなき絶望
出好きで 社交的な姉も
スマホを片手に 最後の砦である私に 怨み節
コロナ禍は 罪な事よ
早く解放してくれ
高齢者に時間は待ったなし
先日のブログ(12/6)に
恩師の事に触れた一文を書かせて頂きましたが
先生のブログもホームページも閉鎖されていました
結婚をされていたのか
お子さんはいらしたのか
出会った当時 先生は30代の若さであったにもかかわらず
高校生だった私には4~50代にしか見えませんでした
文学の師としての思いしかなく
先生の背景には全く興味を持つことはありませんでした
今までずっとです
亡くなられて はたとその自分の思いに気が付きました
先生の私に対する思い以上に
私は冷静で自分の事はわかっていました
半世紀も経っているのに
あの時の先生との一挙手一投足が鮮明に蘇ります
表情 会話 着ていた服装に至るまで…
「踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春は来るべし」
この言葉は 別の師から
私が18歳の時にかけて頂いたものですが
私の人生は雑草でしかありませんでした
花咲く春は来ることなく
とっくに枯れてしまいました
何の努力をすることもなく 大志も抱かず
成し遂げたいと思う事はすべて叶い
それは他の人に比べれば
小さな思い 少ない思い だったからでしょうが
それで十分な人生です
故に
50歳で自身の人生はリセットしたのです
それからの日々
何事があろうとも
豪放磊落な我が道です
行きずりの 心かすめて 溶けもせず 泥川柳
特等席は争奪戦です 勿論私のそばの席のことです(爆)
今日はうたちゃんの勝ち
その下にひろし君がふて寝をしています
うたちゃん 2歳9ヵ月
ひろし君 1歳3ヵ月
家族になった時の年齢です
あれから7ヵ月が経ちました
成猫になってからの出会いです
正攻法で猫を飼おうとすると 66歳の私の年齢では
子猫を飼う資格がありませんでした
紆余曲折があり
大型種のメインクーンの
母親猫のうたちゃん
うたちゃんの息子のひろし君
2匹同時に家族の一員として暮らすことになりました
去勢避妊をすませての受け入れです
つんでれうたちゃんでしたが
最近は自分から私の膝の上に乗って来て眠るようになりました
それまではなかったことです
今でも抱っこは苦手な猫ちゃん達で
させてくれませんけれど
うたちゃんが初めて膝の上に乗って来てくれた時は
嬉しかったな😍
父ちゃんの仕事がらみの方が書かれているブログを読ませて頂いた
父ちゃんの事を書かれた一文もあり有難い事だ
うちではお互いにボケのかましあいであるが
父ちゃんがそれなりに仕事ができる男であることは
長きの結婚生活で折に触れ承知している
誰しにも得手不得手があるものだが
私にはない資質である
生涯「職人」として生きて行くといっている娘であるが
意外に父ちゃんの気質を受け継いでいる
でブログの話に戻るが
男性の方だと思っていたら
女性の実業家だとの事
その一部分を読ませて頂いたが
ブログの内容は
経営者であられるご自身の仕事の備忘録なのか
じつに理路整然と巧みな文章である
同じGooブログさんに参加されている
訪問した痕跡が残っては父ちゃんに迷惑をかけるやもしれず
本当は読者登録をさせて頂いて
じっくりと読ませていただきたい気もする
私と同世代とのこと
人それぞれの人生であるが
果てしなく上の生き様があるものだ
そう言えば私の心の奥に大きく存在しながら
その扉を開ける事ができないブログがある
高校時代の恩師のブログである
私に小説を書く事を指南した先生である
それには 何回か挑戦をしたが
予選はたまに通過をするものの それどまりで
とっくに才能無しと諦めてしまった
勿論結婚する前の話である
先生のブログは文学に絡み 難解で論文みたいなブログである
もう何年もそのブログに訪れていないが
先生はどうされているだろうか
恥ずかしくて 気後れがして
先生のブログに何年も訪問できないでいる
いまネットで先生の事を確認させて頂いたら
この3月に旅立たれていました
享年86歳
今震えながら書いています
怖くてブログに訪問する事はできないでいます
何冊もの著書を残されていますが
そのどれをも読んでいません
不肖の弟子ですね
学び舎の 飛んだ烏の 行く先は 泥川柳
猫ちゃん達に翻弄され
睡眠不足が続いているので
心を鬼にし
昨晩は猫ちゃん達を父ちゃんに託しました
で
私は1階のソファで即爆睡
でも
気が付けば
うたちゃん🐈が私のお腹の上に乗って寝ていますし
ひろし君🐈は私の足下に
愛の重さで身動きが取れず
自分の身体の血の流れが止まってしまうのではないかと思うくらい
長い時間でしたが
辛くはないこの思い重い
けじめをつけることができない私
幼気な存在を愛する事は我が本能なり
計算が働きません
これは人として
大きな問題があるのかな
可愛くてどうもすみません と「負売る」私
なるようになれ =^_^=
雨戸を開けると 氷雨が降っていました
寒いやないけ
うたちゃんが 何を思うか 黄昏ています
後ろ姿も美しいなぁ
敷地に7棟が建つ 建売物件に引っ越しましたが
我が家は一番奥の家
我が家以外は
3件ずつ向かい合わせで
玄関がかち合わないようにそれぞれ建っています
道幅も広く 駐車場もそれぞれの家にあるので
都区内ではあるが 狭い敷地に立っている家でも 圧迫感はない
その内の1軒は2世帯で
70代ぐらいのお母さんが下の階に住んでいらしていて
生活も全く別の様
以前にもブログに書いたかもしれませんが
このお母ちゃん 自分のズロースを
道路側に向けて 堂々と干していらっしゃる
ブラジャーもですが
話はぶっ飛びますが
冬場であればブラジャーをつけている輩は
私の仲間ではいません 勿論私もです
あっ そんな人たちは 勿論もれなくズロース派です
で お母ちゃんのズロースの正面は
30代ぐらいのご夫婦が住んでいらしてその家の玄関になります
玄関を開けると
その横綱級のお母ちゃんのズロースが目に飛び込んできます
ご主人が息をのんだ「その瞬間」を見てしまったのです
野中の1軒屋ではないので
ちょっとだけ 下着とわからないように 干してくれると
やっぱりいいかもしれませんね
私は慣れましたけれど
セクシーな下着より ズロースの方が
のどかな平和を感じます
当地に引っ越しをして1年と2ヵ月
徒歩圏内に3店のスーパーがあり
どれも甲乙つけがたく
この頃は あまりこまないスーパーを
意識して利用する事が多かったが
毎月1日に5㌫引きになるスーパーがあるので
久し振りにそちらで買い物を
5㌫引きだからと 生活必需品も購入
いざ支払いのだんになると
その特典はとっくに廃止になっていました
別のスーパーではせっかく貯めたポイントも
1年過ぎて無効になっていたし
とことん私は抜けています
目が悪いので加入時の能書きは読みません
本能で生きてはや何十年 文句ある!
家の近所には
ドラックストア 量販店 などなど
安いお店も沢山あります
なんか腹立ちまぎれに 浮気をしちゃいました
甘い物は苦手でも
チョコだけは食べます
ドラックストアの方が安いではないかと
3袋もそんなチョコ菓子を買ってしまいました
でもよく見ると中身が少なく
量販店御用達?の代物でした
外袋の大きさは同じなのに 中身だけが少ない
袋にその旨?表示がしてありましたが
そんなもん読むかいな!
この コロナ禍で
全ての人が 大変な思いをされているから
小さな事で グダグダ言うのはやめようと思うが
でも ちと 悔しいな
わたしゃ能天気すぎるね
まぁ バカなのかな
父ちゃんには当然秘密にしておこうね へへ