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12月11日の祈祷会の内容です。

2024-12-10 19:51:00 | 日記
祈祷会    士師記18:21~31「ライシュの人々のことを考える」  2024.12.11

 士師記17~21章までは、士師のいない時代のことが書かれてあります。その中心は「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいことを行っていた」(士師記17:6)です。17章では、エフライムの山地にミカのいう人が登場して来ます。ミカの母親は、ミカのためにお金を出して、銀細工人に彫像と鋳像を造らせるのです。また、ミカの家には神殿があり、エフォドとテラフィムがありました。そして、自分の息子を祭司にしていましたが、途中で、自分の家にレビ人がやって来たので、そのレビ人に、自分の家の祭司になって欲しいと頼み、そのレビ人がミカの家の祭司となっていきました。

18章では、ダン族は、自分のために住み着くための嗣業の土地を捜し求めていました。かつてヨシュアの時代には、土地は与えられていましたが、それを失ってしまったので、この時には土地がない状態だったと考えられます。ダン族は土地を探り、調べるために、自分たちの中から5人の勇士を選んで、「行って、土地を調べよ」と命じて、遣わします。5人はやがてミカの家に行きます。そこにいる祭司に声をかけて、自分たちの進めている旅の成功を尋ねていきます。祭司は、あなたがたの旅は主によって見守られているといいます。5人は、喜んで旅を続けて行きます。5人は進んでライシュに着きます。その地の民は、シドン人のように静かに、また、穏やかに安らかな日々を送っているのを見るのです。その地には、権力を握る者が全くなく、シドン人からも遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったとなっていました。

5人は帰って、ダン族にライシュの土地のことを説明します。「ライシュに向かって攻め上ろう。私たちはその土地を見たが、非常に優れていた。あなたたちは黙っているが、ためらわず出発し、ライシュの土地を手に入れるべきだ。行けば穏やかな民のところに行くことができる。神が与えてくださっている。その土地は大手を広げて待っている。その土地は、この地上のものが何一つ欠けることがない土地だ」と。ダン族の人々は600人の兵士を派遣します。兵士は皆、武器を帯びています。5人と600人の兵士たちは出発します。彼らはエルライムのミカの家に寄って、祭司、彫像と鋳像、エフォドとテラフィムを奪います。

ここからが今日の聖書の箇所になります。ミカは自分が持っていた彫像と鋳像、エフォドとテラフィムをダン族に奪われてしまったので、取り返すために、近くに住む家族の者が呼び集められました。そしてダン族を追っていくのです。もちろん、自分の物を取り返すためです。ミカはダン族に呼びかけます。するとダン族は「兵をそろえて何事か」と問います。ミカは「あなたたちはわたしの造った神々と祭司を奪って逃げた。わたしには何もない。何事かとはよくいえたものだ」といいました。ダン族は「そのようなたわごとを我々に聞かせるな。さもないと、苦々しく思った連中があなたたちを打ち付け、あなただけでなくあなたの家族も命を失うことになろう」といいました。ダン族は旅を続けます。ミカはダン族が強いと見て、引き返し、家に帰って行くのです。

ダン族はミカが造った物と彼のものであった祭司を奪って、ライシュに向かいます。その静かで穏やかな民を襲って、剣にかけて殺し、町に火を放って焼きました。そのライシュの町はシドンからも遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったので、助けてくれる者はなかったのです。ダン族は、その町を再建して住み着き、町の名をダンと付けました。その町の元の名はライシュでした。ダン族は、自分たちが拝むためにミカの彫像を立てることにしました。また、モーセの孫でヨナタンとその子孫が、その地の民が捕囚とされる日まで、ダン族の祭司を勤めていくことになりました。この捕囚の日とは、前733年ごろのアッシリアによるものと考えられます。また、神殿がシロにあった間、ダン族はミカの造った彫像を保っていたとあります。細かいようですが、神殿ができたのはソロモンの時代のエルサレムです。でも、ここでは神殿と書かれてありますので、そのまま使います。神殿がシロにあった間とは、ヨシュアの時代に、会見の幕屋がシロに建てられています。(ヨシュア18:1)また、次のサムエル記の時代にもシロが聖所でした。(サムエル上1:3)

この士師記18章はダン族が新しい土地を手に入れることが書かれてありました。そのためには、ミカの家にあった彫像と鋳像、エフォドとテラフィム、また祭司を奪って、自分たちのものとしたこと、手に入れた土地を一度は燃やしてしまいましたが、再建し、住み着くようになっていきました。それからずっとミカから奪った彫像を自分たちが拝む対象としていたのです。神の教えはどこにいってしまったのかという思いです。ここまで読んできて、私が気になったのは、ライシュの町のことです。ライシュの町は理想的な環境にあると思いました。振り返ると、ライシュの町は、静かに、また穏やかに安らかな日々を送っていました。人をさげすんで権力を握る者も全くなく、シドン人からも遠く離れていて、またどの人間とも交渉がなかったというのでした。ダン族の5人は、このライシュの町の様子を見て、簡単に攻め落とすことができると考えました。そして、実際に、その通りだったのです。ライシュの町は、この地上のものが何1つ欠けることがない所だとありましたが、突然のダン族に攻め込まれて、何もすることもできず、襲われて、剣かけて殺され、町に火を放たれて滅んでいきました。

このライシュの町の人々のことで、自分たちだけで平和に暮らしていて、どの人間との交渉もなかったというのが印象に残りました。自分たちだけで平和であればいいというだけでなく、他の人間との交渉もとても大切なように思います。このことをどのように考えればいいのでしょうか。私たちの歩みの課題でもあると思います。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ミカとダン族の勝手な振る舞いを見てきました。神の民でありながら、神のなしに生きている現実の罪が見えて来ます。また、ライシュの人々のことを考えます。理想的な社会だと思いますが、何か大切なものが欠けていたのでしょうか。その欠けているものを見つけることができますように願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)



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