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気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

”できる人が、できる時に、できることをする in 2017”【平成29年7月九州北部豪雨被災地での水害ボラ】

2018-06-22 17:30:14 | 生き甲斐

 

いまからほぼ1年前の 2017年7月のこと

またまた九州が豪雨で甚大な被害を被ったことを知らされ

 

熊本地震の時に、タイミングを見計らっていたままで

結局何もできずに過ごしてしまい、とっても後悔していたこともあって

 

今回は後悔しないようにと

直近の出張予定を依頼元にお願いして延期してもらい

駆け足で現地に出かけてまいりました。

 

最初に、被災地のボラセンが開設されているか確認してから

県外からのボランティアを受け入れてくれるかを調べ

(大分県の日田市が県外からの受け入れを表明)

 

現地での宿泊先を調べてから(道の駅に野営できるスペースが提供されていた)

次に交通手段を考えて(今回も、大阪南港からフェリーを使うことに)

旅程を組んで(大阪~【フェリー】~別府~【大分自動車道】~日田IC)

フェリーの予約を入れ

 

地元の社会福祉協議会へ走り 

ボランティア活動保険に加入して

 

次に 現地までの高速道路の無料通行許可証を発行してもらい

その日の夕方のフェリーに乗り込んだのですが・・・

 

出航時刻が差し迫っていたこともあって

大阪天保山から南港までのトンネルを抜けようと車を走らせていたところ

 

 覆面パトカーに捕まっちゃいました

『運転手さん、速度標識見えませんでした?』

『ここの制限速度何キロか知ってますか?』

と言われ

『いや、これから九州へ水害のボランティアにフェリーで行くとこで、

出航に間に合わせようとちょっと焦ってたから』

と説明すると

 

『それはご苦労様です。』と言われたものの

しっかり違反キップ切られてしましました~

 

 

普段だったら、気落ちしてしまうところなのに

この日は、これからの活動のことで意気揚々としていたこともあって

『ま、過ぎたことはしゃーない!罰金払ったらいいだけやんか』

と、モチベーションは下がりませんでしたヨ

 

そんな残念なハプニングに遭遇してしまったものの

メゲずにフェリーに乗り込み

無事、別府に到着

 

途中のSAで朝食を摂って 日田のボラセンに到着しました

初日は、この日田市の被災地で活動

 

最初に、いま問題になっている集落の空家が泥で埋もれてしまったため

ガレキや汚泥を袋詰めにしてトラックへの積み込み

 

次に、いつもながらの橋桁に流木がひっかかり

堰き止められて溢れ出した水と泥に埋もれた

農機具を共同で使用できるライスセンターでの作業

(この日は、少し離れた集落での後片付けでしたが、この麦わら帽子のオジサンと一緒に活動しました)

 

丁度梅雨が明けたばかりで、猛暑で有名な土地らしく

(日田市は連続猛暑日で日本一なんだそうです)

 

汗と泥でズクズクになりながら作業を終了して

この日の宿営地に予定していた”うきは”の道の駅に移動

ネットで、この場所が宿営地として提供されているのを確認して

テント一式を車に積み込んでました。

 

すでに数張のテントがあり

何人かが道の駅の洗面台で身体を拭いたり作業着を洗ってしていましたが

隣のテントの人に尋ねると

朝倉市のボラセンで日帰り温泉の入浴券を貰えると聞いて

ボラセンを探してみたものの

 

まだ作業に追われて忙しそうにしてるのをみて

邪魔しにようにと途中でみかけた筑紫川温泉に行ってみたところ

被災者向けに無料で開放されているものの

 

自分は好きで来ているボランティアなんだから

入浴料を払ってもいいやと入ってみましたが

ヌルヌルとしたいいお湯でしたよ~♪

 

温泉からの帰り道に

復旧したばかりのスーパーをみつけ

惣菜やお弁当で夕食を済ませ

前日がフェリーで寝不足だったし、作業で疲れてたので

早めに休もうと思ったのですが・・・

真夏の平地に近い場所でのテントは暑くてたまらず

その上、同じ道の駅の駐車場に野営している機動隊員達が

身体と服や靴を洗うために行き来するのが深夜まで続き

 

更に追い打ちをかけるように道の駅の横を走る国道210号線が

坂の上にあるもんだから、下から登ってくるトラックのエンジン音が耳に着き

とうとうほとんど寝られずに夜を明かしてしまい

ヘタレだな~と思いつつ、その日以降はテントでの野営を諦めることにしちゃいました。

このワゴン車も全国から集まってきていたボランティア達の車ばかり

定年後のシルバー世代で

熊本地震からずっと九州で活動してる人が何人もいて

許されるなら、そんな生き方もいいなぁと、正直ちょっぴり羨ましかったです。

 

そして2日目は、野営地で得た情報から

被害が甚大で先行きの見えないと聞いていた朝倉市のボラセンに行くことにしました。

なんせ、主要な国道は勿論のこと、大分自動車道も寸断されていて

行方不明者の捜索が続いていることもあって

ボラセンから市が準備したマイクロバスで甚大な被害を蒙った杷木地区での活動となりました。

 

筑紫川に向かって山裾に広がる集落を土砂が襲ったため

床下だけにとどまらず、床上まで土砂に埋もれた家だらけで

この日も半端ない作業となりました。

杷木地区の惨状を見ると

まだまだ山ほど作業が残っていると思ったものの

翌日からの週末で、

全国からやまほどボランティアが集まるとすると

移動だけでも大渋滞となって思ったように活動できないなと判断。

 

TVのニュースでは、山間部で道路が寸断されて

それまでボランティアが入れなかった東峰村のボラセンが、翌日から開設されると聞き

朝倉市も一日だけで終了することとしてしまいました。

 

このため、その夜からの宿に決めていた日田駅前のホテルに行く前に

朝倉市のシンボル”三連水車”に立ち寄ってみましたが

その周囲は、いまだ手つかずの状況でした。

 

3日目は開通したばかりの国道を走って宝珠山サテライトに到着

(このサテライトに向かうまでの道はこんな感じでした)

ボラセン開設初日で、週末とあって山ほどのボランティアが集まり

この日は、宝珠山駅近くの民家の床下の泥上げ作業で

グループ約20名のリーダーを拝命

 

開始直後は、夫婦や家族連れの参加者をのぞき

みな初対面でよそよそしく接しているのですが

昼の休憩時間にはもうすっかり溶け込んで仲良しになってました。

 

水害の被災地でのボランティア活動

3K(キツイ、汚い、危険)そのものなのですが

だからこそ、そんな場所に集まり、協働して汗を流して喜びを共有するのがクセになっちゃうですよね

週明けには瀬戸内での現場仕事の予定が入っていたため

平成29年7月九州北部豪雨被災地でのボランティア活動はここまでとなりました。

 

”できる人が、できる時に、できることをする”

 

これからも 

気負うことなく、身体の動く限り続けていきたいと思っているところです。

 

とはいえ、最近の異常気象によって

毎年のように全国各地で発生している豪雨災害が

これ以上を起こりませんように 

 

 

 

 

【付 録】

 

いつものことながら、現地のことを何も知らずに猪突猛進で向かってしまうため

その場でその土地の文化や歴史を学ばせていただいております。

 

今回訪れた場所や食べ物をご紹介させていただきますね

大分県日田市は、九州の交通の要で天領地だったとのことで

こんなに立派な祇園の曳山行事がありました。

 

 

こちらは、テントでの野営を諦めて泊まった日田駅前のホテルで

地元の名物として紹介してもらった”日田チャンポン”

この野菜の量に大感激して、2泊中の夕食はこのチャンポンでした(笑)

 

”咸宜園”ってご存知ですか?

有名な吉田松陰の松下村塾同様、江戸時代後期の私塾でした。

豆田町(豪商の家屋の並ぶ地域)

 

日田から北上すると

あの”青の洞門”がありました。

菊池寛の”恩讐の彼方”がノンフィクションだと思い込んでたら

実は、托鉢勧進によって集めた浄財で石工を雇い完成させた日本初の有料道路だそうでした。

 

”耶馬渓の一目八景”

耶馬渓とはココのことを指してると思ってたら

これはその一部だと知ってビックリ

 

 

羅漢寺

ここを訪れるまで、このお寺のことを知らなかったため

凄いお寺があるものだなぁと感心したのですが

すぐ横に古いリフトがあって、その昔は頂上は動物園だったんだとか

誰でも行けるようになって良かったのか

険しい山を登ってしか行けない方がもっと霊験あらたかなのと違うのかなぁ

との印象でした。

 

 

 

宇佐神宮

名前は聞いたことがあったし、全国の八幡宮の総本社と知っていましたが

”二拝四拍手一礼”の作法にビックリ!

出雲式だし、奈良の大和神社といい

天皇家とは異なる太古の昔からの神となると

やはり卑弥呼が祀られているのではとの思いを強くしました。

 

 

この日は、翌日の瀬戸内での仕事に向かうため

国東半島からのフェリーで本州に渡ることにしでました

 

以前から、山口県の徳山に行くと気になってたフェリーだったので

この機会に乗船することができて嬉しかったですね~

(ただ、競争がないので運賃は高めでした)

 

 

 

 

 

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2 Comments

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お疲れ様でした (toru)
2021-06-18 17:04:24
災害ボランティア活動お疲れ様でした。私も当時、災害ボランティアではないのですが、仕事で日田の山奥(東峰村との境)で林道の災害復旧調査・測量に従事していました。当日の仕事が終わり、宿に帰る途中、ボラセンの前を通過していました。休日には、ボランティア活動に参加するかと同僚と話したけど、体がきつくて参加しませんでした。これまでも、豪雨で家が流されたり、道路が寸断した災害現場に立つと、学生時代のラグビー試合前やケンカ前みたいに、よおーしやるぞーと燃えてきました。
昨年病気になり、薬の副作用で体に力が入らない状態で引退も近いですが、i回復したら建設コンサルタントの責務と考える災害復旧業務に取り組みたい。
あなたの行動力と好奇心に圧倒されます。
私もブログ主と似た学校(四国の商船学校)の出身で、学生時代は、同様な体験をしています。年は私のほうが2つ3つ上と思います。
しかし、特別劣等生で船乗りの経験もありません。
別府温泉に未練があるようですね?私の地元なので機会があれば案内しますよ。
返信する
コメントありがとうございます♪ (ブログ主)
2021-06-18 21:12:45
あの時、日田の山奥に居られたんですか?!
私も初日が日田市の東峰村の境付近での活動でした。
とても暑い日で、地元の人から”国内最高気温の地”と聞かされていたものの、午前の作業が終わって大行事神社の境内で休みながらいつまでたっても汗がひかずなるほどと納得させられました!
翌日の朝倉市の杷木は曇りと小雨で凌ぎやすかったのですが、三日目の東峰村(分断してしまった日田彦山線の線路の近くでした)も暑かったですね~。
東日本大震災の年の秋に、北九州豪雨で阿蘇で活動した時の現地で受けたボランティア同士との感動的な出来事が忘れられなくて、特に九州方面が自然災害で困っていると知らされると後先考えずについ飛び出しちゃうんですよ。(汗)
去年も熊本の球磨川流域に行こうと思ったのですが、コロナ下で他府県からのボランティアの受入れもしていないし、かえって迷惑をかけてしまうかもと断念してしまいました。
こんな状況もあり、望みが叶うなら今後は惨い災害が発生しないようにとただただ祈るばかりです。
さて、商船学校の先輩からとお聞きして
勝手に親近感を覚えております。(笑)
青年海外協力隊でFBでもつながっている仲良しの同期隊員OBが、たぶんtoruさんと同じ学校の同期くらいで、ある企業のアメリカテキサスでの現地駐在で長年滞在してからいまはアメリカ人の奥さんと悠々自適で暮らされています。
私の生まれ故郷の豊橋の私立中学の先輩にもtoruさんの学校に行かれた先輩がいるんですよ。
別府温泉は、一昨年だったかな?
ドキュメント72時間で観た竹瓦温泉に行きたくなって、ちょうど八幡製鉄所に入港した鉄鉱石を運ぶバラ積み船の仕事があったときに、早々に仕事を片付けてソニックに飛び乗って向かい、竹瓦温泉の番台で温泉パスポートと市営温泉のパンフレットを受け取ったのがよかったのか悪かったのか(笑)
その後も九州方面の仕事を探しては、帰りは”さんふらわあ”にして安宿に泊まっては早朝の一番風呂を探して温泉パスポートにも10湯以上のスタンプを押すことができました。
コロナがなかったらスタンプ収集をもっと続けられたのにと残念です。。。
機会あれば、どこかで一献傾けたいですね♪
返信する

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