さて与論島
借り物ですが、↓こんな島
ほぼ真っ平で島の大半はリーフによって荒波から守られ
そのため白砂に与論ブルーのビーチがいたるところにあるんです
画像の一番下が空港と滑走路で
その右側がフェリーの埠頭
滑走路の左下先端部から時計回りで説明すると
小さな入り江が昔のフェリー埠頭
奥が茶花海岸
そしてその奥が漁港でその辺りが与論島の中心部
あとは小さな漁船やグラスボートなどの船が接岸できる程度の岸壁がありますが
リーフの続いているところは白砂のビーチとちょっとした岩礁のみ
本格的はダイビングは岩礁とリーフくらいなので
ほとんどが海水浴向きのビーチなんです
そんな与論島の中でも
一番高いグクス(城)跡にあるサザンクロスセンターの展望せんたん
すぐ横にはグクス(城)跡があり
そこにある海上集会の案内板を見ながら
沖縄本島も目と鼻の先なのに 沖縄返還までは日本最南端だったんだよなぁと思い出し
曇りがちであまりお天気は良くなかったのですが
とりあえずいくつかのビーチを眺め
与論島観光の目玉の百合が浜が遠望できるビーチに移動
もちろんここもガラッガラ
映画”メガネ”のロケ地の表示も多く
狭い島なのにビーチ巡りで夕陽の時間となってしまい
ゲストハウスで18:00が夕食と言われていたため 慌てて宿に戻り
改めて施設をゆっくりと見学してみたのですが
なんか、1980年代前半に暮らしていた南太平洋にあったゲストハウスを彷彿とさせる
シンプルな宿で、個人的には懐かしい気分がしてとっても嬉しかったです
トイレは共同のが一カ所のみ、お風呂(シャワー)は温水器の都合で決められた時間のみ
まあ、そんな不便さも南太平洋のゲストハウスみたいでノスタルジックな想いに浸れました
オーナーお手製の夕食
与論島は飲食店が少ないので1泊2食の宿が基本なのですが
たしか5・6千円だったような。 お得でしょ~
(黒糖焼酎の一升瓶もサービスで出してくれました)
オーナーと話をしていると、元々は奈良の生まれで
当時大学生で一大ブームだった昭和50年頃にこのゲストハウスをつくり
いまは島根でスキー場もしていて行ったり来たりしてるんだとか
たぶん、あの頃よっぽどいい思いをしたんだろうなぁ(笑)
でもとっても親切なオーナーさんでしたよ
夕食時にお酒を飲んだのと、冬でコロナ禍で中心部の飲み屋もしまってるだろうなと
早めに就寝
翌朝、宿の裏手にあるプライベートビーチのような浜で日の出の景色を眺め
翌朝8時朝食
この日の鹿児島行に乗ることにしていたため
与論民族村が開く時間を待って宿を立ち
入場料を払って拝観
与論島の歴史や文化風習を教えていただきましたが
琉球王国の影響下にありながら 島津藩とのはざまで
いろんな苦労があったんだろうなぁ
こちらは芭蕉布の説明
フィリピンでもバナナの繊維で作った布がピーニャと呼ばれ
民族衣装のそれも正装であるバロンタガログで使われているのですが
日本では女性の着物なんですよね
大島紬といい、この芭蕉布といい、手間はかかるのでしょうが目玉が飛び出そうなお値段ですよね
その後、天気が良かったので
更に小林聡美さん主演の映画”メガネ”のロケ地などを巡り
レンタカーを返してから
(結局、いろんな施設を回ることでレンタル料はたったの500円でした)
【12:00】鹿児島行のフェリーに乗船
(マリックスラインとA”Lineが交互に隔日運航しているため、この日はA”lineの船となりました)
二段ベッドの部屋でしたが、やっぱりガラガラ(奄美大島からは何人か乗ってきましたが)
乗船してすぐにランチ
(指定された時間のみの営業なので、遅れた大変なんです)
お風呂はなく、シャワーのみでしたが 汗を流し
日中は、寄港地の風景を眺めながら過ごし
沖永良部、徳之島を遠望して
レストランで夕食
この航路、残念ながら船旅を楽しむというより奄美諸島の人々の足なので
食事もいまいちなんですよ
いつものことながら、奄美大島はほぼ深夜なので
いつも爆睡
朝起きたら開聞岳が見えて錦江湾に入るところとなってしまい
【8:30】下船
連絡バスで鹿児島中央駅へ向かい
前回は那覇からのフェリーを下船してから鹿児島市内をのんびりと観光して
午後志布志への連絡バスに乗り、夕刻さんふらわあで大阪南港に戻ったのですが
この日は、どこもかしこもコロナ禍でガラガラで休業中だらけで
さすがにモチベーションが下がってしまい
駅からネットで伊丹行の飛行機を予約してしまい
すぐにリムジンバスに乗り込んじゃいました
今回の出張、石垣島からの帰路に本部や与論島に立ち寄り
そこそこ嬉しい出会いもあった反面
コロナ禍のそれも非常事態宣言が出てるなかでは
心底旅を楽しめないなぁと痛感しちゃいました
そんなことを思いながら
ラウンジでタダ酒(生ビール&芋焼酎ロック)
普段ならそこそこメインの鹿児島ー伊丹線なのに
コロナ禍で乗客が少ないからなんとプロペラ機
昔は南太平洋やNZ国内線、フィリピン国内などなど
プロペラ機にはよく乗ったものでしたが
最近ご無沙汰してたので、内心それなりに喜んでました
伊丹からも奈良行きのバスがコロナ禍で運休
仕方ないので難波に出て、中央軒で皿うどん定食を食べて近鉄に乗って帰りました。
そして ここが今回の旅でビックリさせられたこと
な、なんと本部で晩御飯を食べた飲食店”十兵衛”の大将が
奈良の話が嬉しかったのか、少しばかりの心づけに喜んでくれたのか
店を出る時に名刺を乞われたので渡していたのですが
な、なんと箱入りのタンカンを贈ってくれちゃったんです
”旅は道連れ世は情け”
喩えがおかしい?
ですね(笑)🤣