って
実は土曜の午前中には家に帰ってきてたのですけど・・・
寝不足と数日間の肉体的疲労にもかかわらず
奈良に戻っても未だ興奮さめやらず いつもながらのハイテンション状態
すぐにでもまた阿蘇に戻りたい気持ちでいっぱいでしたが
よくよく考えてみると いくつもの仕事の問い合わせをほっぽらかして
鉄砲玉の如く、後先考えずに飛び出してたのを思い出しちゃいました
そんなこんなで すぐに戻ることは諦めざるを得ないと(ようやく)悟り
反動で 燃え尽き症候群に陥っていました
さて では今回の報告をかねて
現地と 奈良から阿蘇までの旅についても書き記してみたいと思います。
今回、フィリピンに居た時に昔の仲間達とのメーリングリストを通じて
九州北部豪雨災害のことを知り
その後帰国してから
どこに行ったらいいのかと ネットで調べてみたところ
熊本市内や柳川、八女、大分の日田、竹田等では
ボランティアも集まりやすく ほぼ収束に向かっている模様
ところが阿蘇市では 被害が山崩れを中心として広範囲に及んでいたこと
梅雨明けが遅かったことなどから、未だ人手が足りないとの情報が入り
阿蘇に行くことを決めました
↓ は、阿蘇市のボラセン(阿蘇市災害ボランティアセンター)
旧役犬原(やくいんばる)小学校
個人参加者は、最初に入口でボランティア登録を済ませ
その後、オリエンテーション室にて
災害ボランティア活動のレクチャーを受けてから
マッチングルームに向かいます
マッチングルームでは、
車両提供のできる人(乗用車&軽自動車他)と
マンパワーでの協力者に分けられ
その後 あがってきたニーズが次々と読み上げられます。
(活動場所、被災者情報、作業内容、人数等)
『内牧(うちのまき)の個人のお宅で、畳あげ、床板はがし、床下泥あげで15名が必要です。』
『乙姫地区での瓦礫撤去、粗大ゴミの廃棄、土嚢の運搬で10名程度』
等等
今回のボラセンで感じたことは
局地的な被害であったこともあり
地元の熊本県内からの人がとっても多いこと(天草方面からの人が沢山いました)
そして夏休みに入っていることもあってか
平日にもかかわらず大学生、高校生風の若者や
女性陣の多いことにも驚かさせました
作業内容が過酷な肉体労働にもかかわらず
うわ若き20代の女の子達も 挙って手をあげていました
これがまた、ヤル気まんまんで参加している人達ばかりなので
若い女性参加者も、汚泥を嫌がるどころか
むしろ積極的に泥にまみれ、汗にまみれながら一心不乱に活動する人ばかり
自分が こうした災害ボランティア活動にはまってしまったのも
被災者の人達を手助けしたいって気持ちがその根幹にありますが
それにもまして
普段の生活では なかなかお目にかかれないような
心優しく積極的に前向きに人生を送っている人々と共に過ごすひとときに
至上の喜びを感じているからだと思っています
特に今回は、無償で宿と食事を提供してくれた熊本YMCAのおかげで
毎日、そうした人達(10名前後)とともに寝食を共にすることができ
とっても充実した活動期間を過ごすことができました
【備考: 当初、バンガローで寝る場所を提供していただけると思っていたら、
ユースホステルでキレイなお風呂から、夕食、朝食まで無償でご提供いただいちゃいました】
この宿で知り合った人も それはそれは素晴らしい方ばかり
沖縄から飛行機で来ていた大学生に、
仲間で来ていた予備自衛官(自衛隊OB?)のグループ、
まだ成人前の息子さんを連れてきていた現職の消防隊員(お休みをとっていらしてました)
正義感溢れる頼れるお父さんって感じでとっても好印象でした
その他にも
個人で単独で参加している方々も多々いらっしゃいました
特に、シルバー世代ながら、昨年の東日本大震災では、ほぼ震災直後から現地入りし
その後も何度も現地で活動をされ、また台風12号でも和歌山で活動された方とは
2日目、3日目と同じグループでいたこともあって
すっかり意気投合してしまいました
別れ際には、カッコウつけて
「今回は、一緒に活動できて嬉しかったです。また、いつかどこかでお会いしましょう」
と手を振ってわかれましたが
やっぱり寂しくなってしまいました。。。
たしか8月上旬まで活動すると話してらしたので
宿にメールかFAXで こちらの連絡先をお伝えしておこうかと考えているところです。
「次回、またどちらかに行かれるときには、是非一声かけてください」って
あまり深く個人的はことを話していなかったので
想像の域をでませんが
西宮にお住まいとのことから
もしかしたら 阪神大震災のときの被災者だったのかもしれません。
それと言うのも
東北でも 阪神大震災の被災者が多く活動していましたし
和歌山の台風12号の被災地では東北からのボランティアも何人も見かけました。
今回の阿蘇でも、東北からのボランティアや、
数年前に水害のあった兵庫県佐用町からのボラバスもみかけましたが
自分が被災者となって、ボランティアに助けられたことから
そのお礼の気持ちで活動している人もたくさんいるんですよね。
おっと
またまた 長~くなってしまいましたね。
では、付録で阿蘇までのツーリングの旅もご紹介させていただいてもいいですか?
(ダメ!っていわれたってやめませんけど)
さて、今回、急遽阿蘇まで行くことを決めて
最初に悩んだのが 移動手段
たった2~3日の活動に車で夜通し走って行くのも無謀すぎるし・・・
かといってたとえ飛行機でも新幹線ででも熊本に行けても その先が大変
熊本までの運賃も高額だし、その上、レンタカー借りるなんて
いまの自分とこの経済状態じゃ~ 絶対に無理
んじゃ~ フェリー使ってバイクで行くってのはどーだんべ と
早速ネットで調べたところ
なかなかリーズナブル
そんなわけで バイクを使うことにしちゃいました
4時まで事務所で仕事して4時半に家を出発
第二阪奈道路+阪神高速を使って
5時半に大阪南港 ATC乗り場に到着できました
このATCとWTCという建物
大阪府がバブル時代につくった遺物で
開業当時はそこそこオシャレな街として賑わっていたのですが、
近頃はすっかり閑古鳥定住してしまった感があります。
↑ ガラスの向こうの建物は、WTCといって、関西で一、二を争った大阪府の所有する高層ビル
橋下元府知事が、経費削減のために府庁にすると宣言したものの、
埋立地のため地震が起こったら液状化現象で孤立すると指摘され断念した建物です。
その一角に 関西汽船の さんふらわあ の発券カウンターがあります。
なんせ ボンビーなもので ツーリスト(最下級クラス:大部屋雑魚寝)クラス利用
おーーーーっ! 弾丸フェリーなんてのを売り出してんのかー
船中泊2泊 現地0泊で 往復1万円だそうです
24日火曜日の出航時刻は 19:05
車両はバイクの積み込みは18:00からでした
船内のレストランは、高くて美味しくないので
チケット売り場の隣にあったコンビニで カップ麺とオニギリと
ビールのおつまみを買ってきました~
翌朝、6:55 別府着
事前にボラセンに問合せたところ、到着が遅れたら
当日は活動できないかもと聞いていたので
気持ちも焦って 往きは高速を使うことに
大分自動車道を 別府から九重まで走りました
ところが、九重で下りてからが さあ大変
アメリカ仕込みの 国道の番号だけ書いた紙しか持っていなかったために
すっかり道に迷ってしまい
30分ほどロスしてしまいました
(言い訳: あまりに山の中で方向感覚が鈍っちゃいました)
R387とR212を使って阿蘇スカイライン(ミルクロード)を横切り
大観峰の麓にある展望台に到着
実は、熊本は、今年の4月に八代に行ったのが初めて
阿蘇山周辺に行ってみたいみたいと思いながら
永年憧れの土地だったのですが
大観峰からの眺めの
あまりの素晴らしさにビックリしちゃいました
外輪山の規模は 想像以上
ヨーロッパアルプスの氷河の跡にできた谷を眺めてた時以来の感動でした
実は、阿蘇の町がどんなとこにあるのか
全くしらなかったものですから(まさかカルデラの中にあるとは知らなかった)
またまたビックリ
見渡す限り平坦な田畑が広がり 高層の建物はほぼ皆無
そりゃ~ こんなとこ
水に浸かったら逃げ場がないじゃん! って感じなんです
東北、和歌山と見慣れてしまいましたが
水に浸かった畳や家具が瓦礫の集積場に次々と運ばれてゆきます。
土砂は、瓦礫とはまったく異なる場所に集積所があり
1日目と2日目は、泥アゲのほかに、土砂(土嚢)を運ぶ軽トラやダンプの運転をしていたので
被災地と集積所を幾度も往復して すっかり地形を覚えてしましました
↓これは、初日の泥あげ作業に使った道具類
活動場所もできれば 写真でご紹介したいところですが
今回のオリエンテーションでも、毎回のボラセンでの出発前の説明でも
写真撮影は禁止とのお達しがありましたので
現場の写真は一枚もありません。
ただ、本心としては、作業の事前、事後の情景(?)は、
是非多くのみなさんに見ていただきたいですね
いつも感じることだけど
有償で業者さんとかに頼んでも
きっとあそこまで丁寧に そして短時間に処理できるものではないと思います。
水害で、下水臭のするドロドロの汚泥を土嚢に詰めたり
廃棄する畳や家具を解体したり、ダンプに積み込んだり
休憩時間さえ惜しんで、汗と埃まみれになって作業するんですから
ほんと 参加者の自己満足だけなんですよね
話変わって
こちらが、宿として利用させていただいた YMCA阿蘇キャンプ場
この建物は、ユースホステルと食堂、お風呂、集会場などのメインの建物
その奥に ロッジ風(?)の建物があり
人数によって 1棟、2棟を使わせていただきました。
ログハウス風の建物で2段ベットの部屋。
10~12名収容で、布団も各戸に水洗トイレもありました。
夕食も朝食も とってもボリュームがあって
ゴハンはおかわり自由
みんな肉体労働でお腹がすいているので 大変喜んでいました
ご馳走様でした
そして大変お世話になりました。 心より厚く御礼申し上げます。
さてさて、この阿蘇市の役犬原という土地(阿蘇神社の近くです)
湧水で有名なところなんです
http://www.youtube.com/watch?v=h2ChXg84jH4
現地での活動3日目が最終日でしたので
作業から戻ってから、この湧水でザブザブと体を洗ってきました
この日も35℃越えで ドロドロで汗ダクなんてもんじゃなかったもんだから
人がこないのを見計らって 下着まで着替えちゃったんですよ~(爆)
こちらが帰路に撮った 宮地駅前での阿蘇山(高岳)の風景
雲に覆われて 『帰り道、ちょっとやばいかな?』と思ったとおり
大分の竹田に入った頃から夕立の土砂降りとなってしまい
レインスーツに着替える余裕もなくなって
ずぶ濡れ状態で船に乗り込みました
【文字数制限を超過してしまいましたので、続きは別の記事として再投稿させていただきました】
熊本 阿蘇のボランティア 遠くからありがとうございました。
天草市民です、Be Naturalさんと日程は違いましたが私も友人とボランティア活動に参加しました。一言、熊本県民としてお礼を言いたかったのでコメントさせて頂いた次第です。
本当に遠路はるばるありがとうございました!
とってもうれしかったです!
先週末の土曜日の深夜に帰国し、
阿蘇の復興状況が気になって早速ボラセンのHPを調べてみたところ、とりあえずボラセンが閉所したことを知りました。
実際には、きっと外輪山等の山裾の山崩れが発生した辺りでは、まだまだ支援が必要だろうなとの思いを抱きながらも
とりあえずひと段落できたのかと胸を撫で下ろしていたところでした。
短い間でしたが、阿蘇では、地元熊本の多くのボランティアの方々と共に活動することができ、生涯に残る良き思い出となりました。
被災された方々にとっては、まだまだ苦しい時が続くと思いますが、一日も早く立ち直り、将来に向かって前向きに生きて欲しいと心から願うばかりです。
復興支援をかねて、近々、また阿蘇を訪れてみたいと思っています。
もしいまだ現地で困っていることなど、お知りでしたらお知らせくださいね。