Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

ちょっとそこまで(その2)

2011-01-17 16:07:30 | 旅行

前回の1月12日、 

香港空港から乗車したバスで向かったのがココ↓

広州市の越秀区解放北路にある中国大酒店

(China Hotel, a Marriott hotel,Guangzhou:広州で最初にできた☆☆☆☆☆)

築30年で、モダンさはないものの、アクセスの便利さ、ロケーション&設備の良さに

充分満足できました

Receptionでチェックイン

パスポートの名前を照合したと思ったら、なぜか急にスタッフがアタフタとしだし、

即座にアシスタントマネージャーが飛んできて挨拶

「○○様、ようこそいらっしゃいませ。」

「本日は、当ホテルをご利用いただき大変ありがとうございます。」

「ご予約いただきましたお部屋からスイートにグレードアップさせていただきました」

「また、Executive Lougeもご自由にお使いいただけますが、よろしいでしょうか?」

とアレコレと矢継ぎ早に説明されて ちょっとドギマギ

 

手続きを終えたと思ったら、ベルボーイを呼ばずにフロントの女性スタッフが先導して

部屋まで案内するとのこと

「荷物もないから、エレベーターホールまででいいですよ」と押し問答を繰り返していたら

今度はジェネラルマネージャーが登場

またまた丁重にホテル利用のお礼を述べられて・・・

『一体、ど、どーしちゃったの?』と VIP待遇に驚いてしまいました

17FのExective Floorは、ペントハウス用のように専用エレベーターではないものの

このフロアーの部屋のカードキイを差し込まないと、フロアーへは入れない仕組み

当日の外気温が一桁だったにもかかわらず、白人客が泳いでいてビックリ

Fitnessで運動したあとだったのかなぁ

これは、中国大酒店に隣接する老舗ホテル東方賓館(ドンファンピンガン)

昔のロシア同様、共産時代を彷彿とさせる巨大ホテルのようでした

 

中国大酒店は、築30年で、モダンさはないものの、調度類は贅を尽くした重厚なものばかり

アクセスの便利さ、ロケーション&設備の良さもあわせて充分満足

 

広州も、すでに何本もの地下鉄線ができあがっていました

さすが中国 アッと言う間にインフラが整備できちゃうんですよねぇ

周辺の越秀公園・流花湖公園・龍湖公園等用に貸し出されているレンタル

 

と、いうことで(?) ホテルの周辺をブラついてみました

ココ↑は、東方賓館の先にあった最近流行りのチェーンの中華料理店  

広東風というか、マカオ風ですが、そこそこイケますヨ

個人的には、昔ながらの飲茶を売りにしているような餐庁が好きですが

 

道路を隔てて向かい側、流花湖公園内にあった 超高級海鮮餐庁

この鯉のバカでかさ! 

水族館じゃ~ないんですよ  水槽にウミガメが泳いでるけど

自分には場違いな 富裕層御用達って感じ  即座に退散することにしました

これは、その隣にあった粥の専門店

といっても、ただの粥じゃなくて、こちらもやはり高級海鮮を使った粥が売り物で

ひとりで入れる店じゃありませんでした。。。

 

仕方がないので、いつものお馴染みの蘭州のラーメン屋で牛肉面を食べて

コンビニでビールを買ってホテルに戻りました

↑は、ハルビンビール  ↓は、広州の地ビール 珠江啤酒

 

ホテルの裏手には、香港・マカオとの直行バス乗り場があってとっても便利

 

しかし、同じルートで往復するのが嫌いなので 帰路は電車にしました

昔から良く使ってる”広九(広州・九龍)鉄道”

昔は、シベリア鉄道と同じ、頑丈さばかりが目立つ古臭い車両でしたが、

最近では、欧州モデルのWデッカー車両とかもあるんですヨ

その昔、中国本土人が香港はもとより、深センへも自由に出入りすることができなかったので

ほぼ、香港人や外国人の専用電車の様相でしたが、いまではほとんどが中国本土人

最近は広州東駅が、広九鉄道での玄関口

広州‐深センの”広深鉄道”も、すっかり新幹線のように変貌していてビックリ

時間に余裕のある人は、深センから羅湖(香港国境)に入ってみるもの面白いですヨ

昔から治安の悪いところなので、防犯カメラも至る所にあり、警察官もウヨウヨいます。

その昔、筆談で切符を買ったことを思い出してしまいました

大変な時代だったなぁ。。。

土産物売り場に並んでたプーアール茶

雲南のモノが貴重で高価なんですヨ  一種の資産のように扱われたりします

↑このサイズで、約1万円弱

これが特等車両の内部(Wデッカーの下の車両)

特等では、水とピーナッツの配給(?)あり

食事は、メニューから選んで注文すると持ってきてくれるようでした

車両によっては、食堂車もあって鉄道の旅もより楽しめます

香港の羅湖付近の国境風景

その昔は、なんとなく緊張したものでしたが、今はもう不要な気させしてしまいます。

九龍駅(いまは 紅磡駅)での風景

入管が混むので、みな焦って先へと急ぎますが、これまたとても簡易化されて

あまり待たされることなく入国できるようになりました

 

 

いまから18年前の1993年当時

広州での仕事を受け、幾度となく広州と香港を往復したものでした。

 

いまほど安易に中国に入ることができず、九広鉄道のキップも簡単には買えなくて

ある時は、尖沙咀や中環のフェリーターミナルから

ホーバークラフトや高速船で広州の黄浦や太平や蛇口に渡ったり

羅湖から深センに入り、TAXIを飛ばして行ったものの、途中で降ろされ

オートバイの後ろに乗せられて丸一日かけての移動が普通でしたね

 

運よく広州行きの電車に乗れても

駅舎を出た途端に何人もの物乞いにまとわりつかれ

ようやく広場を抜けてTAXIを捕まえても、幼児をおぶった物乞いが扉の間に手を差し込み

扉を閉めることができなくて困っていても、運転手も素知らぬふり

 

また、往きはよいよい帰りは怖いで

ある時、昼に仕事を終えて、急では深セン行きしか乗れないだろうと

広州東駅に向かい、切符売り場で時刻表を眺めていたところ、

なにやら外国人を認めた怪しい英語を話す人物が現れ

「今日は、もう深セン行きは終わりましたよ」

「私が、明日の切符を買っておきますから、今日は近くの招待所に泊まるのがいいですね」

「そうそう、荷物は持ち運ぶのが大変でしょうから、明日まで私の事務所に置いてください」

 

「イヤ。別に運ぶのは大変じゃないから、招待所まで持ち運ぶから平気だ」と話しても

”どうしても荷物を置いてゆけ”との一点張り

「なんでそこまで荷物にこだわるのか理解できないぞ! もう構わないでくれ!」と突き放し

切符売り場で、筆談で尋ねてみたら なんと深セン行きがまだあるとわかってビックリ

・・・そんな時代でしたねぇ

 

当時の現地での出来事を書き始めたらキリがないので これくらいにしておきますが、

昨今の変貌ぶりには、いまだに目を丸くして眺めているばかりです。

 


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