書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

鑑真・書状(754)

2007-04-29 07:42:14 | Weblog

鑑真(688-763)
鑑真54歳の742年の第一回目の渡日決行から748年の第五回目の決行までことごとく失敗、第五回目には激しい暴風にあい、14日間の漂流の末海南島へ漂着する。
この間の辛苦の為、鑑真は失明する。
753年、渡日の決意は変わらず6度目にて悲願を達成し終に日本の土を踏むのである。
想像を超える意志の強さである。
仏教行政の最高指導者“大僧都”に任命され、
仏教界の風紀を劇的に改善したとされる。
その後、朝廷と意見が分かれ野に下る。
71歳の時、私寺である唐招提寺を開き、
多くの僧侶を育成した、一方で、
社会福祉施設・悲田院を設立し貧民の救済に取り組んだ。

その書にも、鑑真の人柄、人間性が滲み出る。
豊潤かつ雄渾にして気宇雄大である。