書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

船王後墓碑(668)

2007-04-19 07:12:53 | Weblog

後年、南河内での山崩れで偶然発見された。
碑文の内容からして、日本最古の墓誌とされる。
六朝銘文の形式をとっているが正式な漢文ではなく、
和風朝の漢文であるところが興味を惹く。
銅版に墨書し鏨で刻したようである。
雄大にして古朴豪放な書は、一見、北魏の書と見紛う。

宇治橋断碑(646)

2007-04-17 07:18:49 | Weblog

日本最古の碑石とされている。
長年地に埋もれていて江戸時代の発見された時は大部分が失われていた。
後に、残されていた文章を元に復元され、これが断碑と呼ばれる由縁である。
鋭い力強い書風は日本金石文の名蹟とされている。
臨書していて、中国北魏辺りの碑を臨書しているような錯覚に捕われる。

書の歴史を臨書する・日本編

2007-04-15 12:45:50 | Weblog
2006年度には、
中国古代からの名蹟を約260点余りの臨書を試みたが、
次いで2007年度は、
日本古来の名蹟を臨書する事で日本の書の歴史を紐解いてみたい。

日本への漢字の渡来は、五世紀の頃、
阿直岐、王仁の百済からの来朝に始まると言われているが、
それ以前に帰化人によりもたらされている事を考古学上の遺物が物語っている。
日本固有の文字の有無についても多くの議論があり、
日本人の一人として人情的には日本固有の古代文字の存在を認めたいが、
残念ながら存在しなかったが正論のようだ。


法華経義疏(615)
日本最古の肉筆が聖徳太子自筆の法華経義疏である。
法華経義疏の記された615年頃には、既に、
当時の中国六朝時代の高度な文化とされる漢字を完全にマスターし、
自由に使いこなし、日本独特の書風すら確立されている。
伸び伸びとした優しい線であるが、格調が高い。