あっしの育った高校は男子校で制服もなく、私服で通っていた。
何せ、バンドをやっていたあっしは3年生の影響力が弱まる2年生の2学期くらいからずっと革ジャンで登校していた。髪はハリネズミのようにツンツンで、すれ違った誰もが2度見する程で、今思えば、かなり頭悪い格好だが、その当時は一番カッコイイと思っていたし、他人の目なんか気にもしなかった。
しかし、3年の夏からバンド活動を止めた途端、着るのが恥ずかしくなってしまい、髪をあからさまに立てることにも疑問を感じてしまった。
卒業式の予行練習にはアホみたいに立てて、後輩たちに目立たせたけど、それ以外の日は革ジャンに袖を通すことはなかった。(余談ではあるが大学一年頃、母校の気高の学祭に行った時に、知らない後輩から「革ジャン着ていた先輩ですよね?」って声をかけられたくらい後輩には痛烈に印象に残っていたらしい)
それは大学生になっても変わらず、社会人になった今でもクローゼットに長いまま眠った状態にいる。自分の中で音楽をしない限り、革ジャンは着ないと心に決めている。つか、音楽もしていないのに、オシャレで着ている奴を見ると、腸が煮えきる思いがする。
いつか、また着る日が来るのだろうか。黒いサングラスして、社会を真っ向から見ず、唾を吐き出すような若かりし思いになれるのだろうか。
何を言われても「だから何?」って思っていたある意味純粋で真っ直ぐな頃に
いつかの日に備えて、この革ジャンは取っておく、もし火事が起きても、これだけは必ずもって逃げる。
なぜなら、これはあっしが本当に向かおうとしている道に必要なものだと確信しているから
仙台アメ横で買った思い出の革ジャンです。鋲はいつも間にか無くなっていました
何せ、バンドをやっていたあっしは3年生の影響力が弱まる2年生の2学期くらいからずっと革ジャンで登校していた。髪はハリネズミのようにツンツンで、すれ違った誰もが2度見する程で、今思えば、かなり頭悪い格好だが、その当時は一番カッコイイと思っていたし、他人の目なんか気にもしなかった。
しかし、3年の夏からバンド活動を止めた途端、着るのが恥ずかしくなってしまい、髪をあからさまに立てることにも疑問を感じてしまった。
卒業式の予行練習にはアホみたいに立てて、後輩たちに目立たせたけど、それ以外の日は革ジャンに袖を通すことはなかった。(余談ではあるが大学一年頃、母校の気高の学祭に行った時に、知らない後輩から「革ジャン着ていた先輩ですよね?」って声をかけられたくらい後輩には痛烈に印象に残っていたらしい)
それは大学生になっても変わらず、社会人になった今でもクローゼットに長いまま眠った状態にいる。自分の中で音楽をしない限り、革ジャンは着ないと心に決めている。つか、音楽もしていないのに、オシャレで着ている奴を見ると、腸が煮えきる思いがする。
いつか、また着る日が来るのだろうか。黒いサングラスして、社会を真っ向から見ず、唾を吐き出すような若かりし思いになれるのだろうか。
何を言われても「だから何?」って思っていたある意味純粋で真っ直ぐな頃に
いつかの日に備えて、この革ジャンは取っておく、もし火事が起きても、これだけは必ずもって逃げる。
なぜなら、これはあっしが本当に向かおうとしている道に必要なものだと確信しているから
仙台アメ横で買った思い出の革ジャンです。鋲はいつも間にか無くなっていました
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