「汽車の中で柑橘系の匂いがした。どうやら車内で誰かがみかんを食べていたらしい。そういえば、一人暮らしを始めてみかんは食べたいない
実家にはいつもコタツの上にみかんが決まったように置いてあった。
ふと、あの頃の情景が浮かび上がった。
懐かしい風景が近づき、汽車を降りた。
ホームに降り立つと、変わらない潮の香りが私を迎えた。
数年ぶりの故郷はあの頃のまま、そこにあった。
改札を抜けると、名前を呼ばれた気がした。振り返ったが誰もいなかった。
でも、確かに名前の後に聞こえた。
風に乗り、ただ一言『おかえり』と」
これは大学生の頃に仙台から気仙沼に南三陸に乗ったときに書いたポエム?だ。
南三陸というのは朝と夕方の2回運行している仙台と気仙沼間を2時間で結び快速線だ。
それ以外だと鈍行と呼ばれ、乗り継ぎがうまくいかない場合は3時間以上かかる。
風景が海岸線になり、志津川や歌津に近づくとようやく気仙沼に帰って来るという安堵感に包まれる。
気仙沼線の志津川、歌津、津谷はそんな思い入れがある。
そして震災後に始めて、志津川、歌津、津谷の南三陸町に行った。
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被害の大きさが気仙沼とまた違っていた。
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街全体が飲み込まれてしまった様でした。
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近くに高い建物、高台がありません。
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もうどこを走っているかわからなかったです。
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志津川駅から見えるウジエスーパーも今はどこにあるかどうかわからない感じです。
震災のニュースでしきりに「南三陸町」と連呼していましたが、
それが志津川なのか歌津なのかはっきりしてほしかったです。
合併してしまって正式名称が南三陸町というので仕方ありませんが、
旧名?で呼んでもよかったと感じました。
南三陸号の窓から眺めるあの風景は今でも覚えている。
でも、いつかまた同じ風景が帰ってくるはず。
車内でみかんを食べながら、南気仙沼駅で降りたいと思います。