言いたくても言えなかった言葉が出た気がした。
短い言葉が何年もそこに立ち止まっていることに見て見ぬふりをしていた。
開放とともに腹の奥底から声が出た。同時にマサトから素早くボールを奪い、先程外したスリーポイントゾーンまでドリブルした。
眼光鋭くゴールを睨み、シュートは膝で打つ、その言葉通りに、あの頃のフォームが蘇えり、マサトがディフェンスに来る前にボールから手が離れた。
ヤフミは右手の人差し指を大きく空に突き出した。
ボールの軌道は高く放物線を描き、リングに吸い込まれるように鮮やかに入り、今日一番の快音がヤフミの耳に届いた。
「ふぅー、やっぱ、すげぇな。ヤっちゃんは負けたよ」
二人ともよれよれになりまがらベンチに座り、汗だくになった顔を拭いた。
香水の匂いをすでに消えており、汗の匂いしかしなかった。
ヤフミはタオルで顔を覆った。目をつぶるとボールを必死になって追いかけ回り、練習に明け暮れた自分の姿があった。
バスケを引退したら本格的に歌を始めて、絶対に歌手になってやる。
…そうだったよな。
「どうした?具合でも悪くなった?」
「なぁ、マーボー。中学の頃のオレの夢って何だ?」
「えっ…歌手になることじゃなかったの」
「そうだ」
俺の夢は歌手になることなんだ。タオルを手に取り、立ち上がった。
「思い出せたんだ。中学の頃のオレが…甦ったんだ。この汗の匂いで思い出すことが出来たんだよ。」
過ぎてしまった過去を戻すことは出来ない。しかし、取り戻せるものがあった。 それはあの頃の気持ち。今までの葛藤がすべて吹っ切れ、それと同時にヤフミは 大事な鍵を見つけることが出来た。
あとはドアを開けて、檻から取り出すだけだ。
「これまでなんて無駄な時間を過ごしてしまってたんだ…」
「そんなことない」
マサトも立ち上がり、持っていた水を一気に飲み干した。
「始めることに早いも遅いもない。大事なのは諦めずに、夢を追いかけ続けることだと思うぞ。さっきヤっちゃん言ったじゃん、オレはこのままで終われるかって、まだまだいけるって。それが本音だし、オレの知ってるヤフミは咲かないまま散る花じゃないぞ」
汗が目に入り、涙と共に頬をゆっくりと伝わり、地面に落ちた。
頬の痛みはそこにはもうない。
「先生らしいこと言ってくれるね。オレが生徒だったら、こんな先生がいる学校に毎日通うだろうな。何年掛けてでもいいから、夢を追いかけ続ける。俺はやれる、おれはやれる」
このままで終われるか?心の叫びがようやく吐き出せた。
噴出す汗と涙をもう一度、タオルで拭いた。
「ありがとう。ヤっちゃんのやる気を見て、オレもまたがんばれる気がしてきたよ」
それ以上の言葉は必要なかった。無言で交わす握手。
これからの進む互いの道にエールを送った。二人が出来る最高のメッセージ。
「あっ」
シャツを着ようとしたときに胸ポケットに仕舞いこんでいた腕時計がまた地面に落ちた。焦ることなく、拾いあげ、
「こんなものはもう必要ない」
ヤフミは振りかぶると、力の限り腕時計を放り投げた。
夕日に反射し、きらりと光ると、乾いた音が遠くで聴こえた。
過去はもう振り返らない。もったいないとマサトは頭を抱えたが、すぐに右手を挙げ、ハイタッチをした。
「腕時計くらい自分で買えるようになる」
ヤフミはそういうと、転がっていたバスケットボールを拾い、もう一度ボールを弾ませた。
今日も一日が音もなく過ぎていく、だが明日からまた新しい日の始まりだ。
弾むボールの行方を見ながら、今また新たな一歩を歩み出すことを考えていた。
これからの人生でもっと苦難が待ち構えているに違いない。
でもヤフミの目は輝き続けるだろう。すべてが可能性に満ち、高い志、情熱を持っていた自分に戻れるあの匂いを忘れない限り。
そしていつかは必ず心の檻に閉じ込めてしまった夢を、掴み取ることができるであろう。
帰りの車中、ヤフミはカーステレオから流れる最新の曲を口ずさみ、暮れなずむ街並みを眺めた。
ヤフミには、いつもと同じ夕暮れが、今日は少し変わって見えた。
まるでデジャヴのように懐かしい街並みだった。
END