先日、運よくキトラ古墳の壁画「白虎」・「玄武」、
そして高松塚古墳の壁画修理作業室で、
「玄武」・「青龍」・「白虎」・「女子群像」の壁画を、
レプリカでなく、本物を見ることが出来ました。
(前回の記事はこちらから→キトラ古墳壁画・高松塚古墳壁画修理作業室 公開)
そこで、現在の古墳の姿や、今後の予定をご紹介します。
高松塚古墳
被葬者:不明(皇族もしくは高位の者、諸説あり)
築造:藤原京期(694-710年)
1970年10月、村人がショウガの貯蔵穴を掘っていたところ、切り石を発見!
明日香村が資金を捻出し、橿原考古学研究所が発掘を実施しました。
1973(昭和47)年3月21日、石室が検出され、極彩色の壁画を発見!
古墳は1973年4月23日、特別史跡に、
また極彩色壁画は、1974年4月17日に国宝に指定されています。
「高松塚」の由来は、墳丘の上に松があったことらしいです。
発掘調査後、現地保存されることになり、保存処理を施し、
空調設備を備えた保存施設を建設。
1981年以降、年1回の定期点検が実施されましたが、
年々、壁画が劣化していき、特に西壁の「白虎」の劣化が激しい事を受け、
2003年、国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会が設置され、
その翌年には国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会が発足。
検討の結果、石室を解体・移動して修復し、
修復完了後に元に戻すという方法がとられることになりました。
2006年10月から解体作業が開始され、
翌年6月、最後の1枚が修理施設に移動しました。
古墳の発掘調査により、埋もれていた周溝などが発見され、
古墳の形状が明らかにされました。
また墳丘からは過去に起こった地震の亀裂がも発見され、
ここから虫や雨水が入り込んだことも分かりました。
墳丘は発掘調査に基づく形状の復元工事が行われました。
現在、解体された石室は、
公園内にある仮修理施設で、10年計画で修理されています。
修理完了後は、墳丘に戻される予定ですが、
今の段階では難しいようです。
キトラ古墳
被葬者:不明(皇族もしくは高位の者、諸説あり)
築造:7世紀末~8世紀初
亀虎古墳とも書かれます。
1983年、石室内の彩色壁画「玄武」が発見され、
2000年、特別史跡に指定されました。
発掘後、湿気によるカビが石室内に発生。
壁画の変質が進行していることが分かりました。
同じ時期の高松塚古墳の劣化問題もあり、
壁画をはぎ取り、保存・修理されることになりました。
2004年に始まり、2007年には全ての剥ぎ取りが完了。
2013年には考古学調査も終了しました。
現在、2016年の開園を目指し、
「国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区」として整備工事が進められています。
公園内には体験学習館が開設され、
そこで保管・展示される予定になっています。
しかし、実物を見える機会は、関係者の方から聞く話によると、限られた期間だと思います。
今春、東京で開催される特別展は、キトラ古墳発見30年に基づくものですが、
公園施設が完成、移動すると、
壁画を長距離、移動させるのは困難のようで、
東京で見える最初で最後の機会かもしれません。
ぜひ、関東にお住まいの方は足を運んでみて下さい。