第33代推古天皇は額田部皇女、豊御食炊屋姫といい、
第29代欽明天皇と蘇我稲目の娘・堅塩媛の皇女として誕生しました。
第30代敏達天皇の皇后となり、同母弟・用明天皇、異母弟・崇峻天皇の皇位を経て、
豊浦宮において即位。史上初の女性天皇です。
また天皇号を初めて用いた日本の君主といわれています。
(飛鳥池遺跡で発見された木簡から、最初の使用者は天武天皇であるという説が有力)
推古天皇は実子・竹田皇子に皇位をつなげるために即位したといわれています。
しかし愛息の皇子は、若くして亡くなります。
628年に推古天皇は崩御しますが、遺令によって愛息・竹田皇子が眠る墓に合葬され、
その後、磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)に改葬されたそうです。
最初に葬られた墓は、奈良県橿原市五条野町植山にある植山古墳といわれています。
横穴式石室を2つ持つ古墳ですが、
平成28年まで史跡整備工事のため非公開です。
(lll ̄□ ̄)ガーン!!
大阪府南河内郡太子町にある山田高塚古墳が、
磯長山田陵に治定されています。
最愛の息子と眠る女帝の陵墓は、田畑に囲まれた静かな場所でした。
一度、行ってみて
大阪府南河内郡太子町 山田高塚古墳