最愛の息子と共に-推古天皇陵-

2013-06-01 21:20:59 | 歴史あるトコ-大阪

第33代推古天皇は額田部皇女、豊御食炊屋姫といい、

第29代欽明天皇と蘇我稲目の娘・堅塩媛の皇女として誕生しました。

 

第30代敏達天皇の皇后となり、同母弟・用明天皇、異母弟・崇峻天皇の皇位を経て、

豊浦宮において即位。史上初の女性天皇です。

また天皇号を初めて用いた日本の君主といわれています。

(飛鳥池遺跡で発見された木簡から、最初の使用者は天武天皇であるという説が有力)

 

推古天皇は実子・竹田皇子に皇位をつなげるために即位したといわれています。

しかし愛息の皇子は、若くして亡くなります。 

 

628年に推古天皇は崩御しますが、遺令によって愛息・竹田皇子が眠る墓に合葬され、

その後、磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)に改葬されたそうです。

 

 最初に葬られた墓は、奈良県橿原市五条野町植山にある植山古墳といわれています。

横穴式石室を2つ持つ古墳ですが、

平成28年まで史跡整備工事のため非公開です。

(lll ̄□ ̄)ガーン!!



大阪府南河内郡太子町にある山田高塚古墳が、

磯長山田陵治定されています。

 

 

最愛の息子と眠る女帝の陵墓は、田畑に囲まれた静かな場所でした。

 

 

一度、行ってみて

大阪府南河内郡太子町 山田高塚古墳



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