王朝交替説

2013-06-22 12:43:45 | 歴史に関する雑学

現在の天皇は125代目。

天皇家は古代より面々と続く、世界最古の王朝です。

 

「万世一系(ばんせいいっけい)」って言葉、聞いた事ありますか?

一つの系統が永久に続くことです。


しかしこれに異論を唱える人もいます。

それが王朝交替説です。

 

0-葛城王朝

初代神武天皇が即位したのは、紀元前660年としてますが、これも史実とはいえません。

第10代崇神天皇が初代天皇であるというのが通説で、神武=崇神といわれています。

つまり紀記に書いてる二人の天皇の出来事は、初代天皇の実績を二つに分けたもの。

なぜかというと、天皇家の歴史を古く、神の系列まで引き上げるためです。

ではその間の天皇たちはというと、欠史8代といい、作られた天皇たちであるということです。

この天皇たちには、また別の説があり、初代天皇が大和に来たときに、

この地を支配していた豪族たちであるというものです。

この先代を「葛城王朝」であると唱える学者もいますが、

魏誌倭人伝に出てくる「百余国」の状態、つまり各地を治める豪族たちがいたということです。

 

1-三輪王朝

崇神天皇以降を、「三輪王朝」といいます。

別名「イリ王朝」。

天皇や皇族に「イリヒコ」「イリヒメ」など「イリ」のつく名称をもつ者が多いからです。

奈良県桜井市、天理市付近に多くの古墳が存在しています。

この辺りに政権の中心があったということです。

 

2-河内王朝 

続いて、応神天皇以降を「河内王朝」といいます。

同じように、天皇や皇族に「ワケ」のつく名称をもつ者が多いことから、

「ワケ王朝」という別名を持ちます。

大阪平野に強大な政治権力の拠点があり、御陵が多くあります。


3-近江王朝

最後に「近江王朝」。

継体天皇以降で、現在の皇室はこの王朝に属します。

継体天皇が応神天皇の5代の末裔で、近江・越前から武烈天皇の後継として迎えられたとあるためです。

血肉を争っての皇位簒奪ではなく、息長氏などが大王家に妃を入れていたため、

継体天皇も息長氏系統の王位継承資格者があるという皇位継承論で、

それでも血統的にはかなり薄いため、王朝交替とみなされています。

ただこの点では、先代の皇女である手白香皇女を皇后に迎え、入り婿の形であることから、

王朝交替にはならない・・・・という学者もいます。

 

 

その他にも「河内→播磨→越前王朝説」などもありますが、

まぁ結論をいうと、戦前までは万世一系の概念が通説でしたが、戦後はその概念がなくなり、このような説が生まれました。

推古天皇以前の歴史は不透明な部分が多いため、万世一系ではないとも言えるわけです。

 

三輪から河内に変ったのも、理由はわからず、ただ「○○年、××に宮をおく。○×年、崩御。△△に陵を築く」しか書いてないから、

余計、こんな説が生まれるんですね。

 

 



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