生駒郡平群町に悲劇に見舞われた夫婦の墳墓があります。
奈良時代の左大臣・長屋王とその妻・吉備内親王の墓です。
長屋王の父は天武天皇の第一皇子・高市皇子、
母は天智天皇皇女・御名部皇女(みなべのひめみこ)。
吉備内親王の父は天武天皇の第二皇子・草壁皇子、
母は天智天皇皇女・阿閇皇女(あへのひめみこ)、後の元明天皇。
文武天皇・元正天皇の同母妹です。
御名部皇女は元明天皇の同母姉で、持統天皇の異母妹に当たります。
時の天皇は第45代聖武天皇。
妃に藤原不比等の娘・安宿媛(あすかべひめ)でした。
天皇と安宿媛の間には、阿倍内親王、基皇太子と誕生しますが、
基皇太子は1歳に満たないまま、夭折します。
この基皇太子の死は「長屋王の呪い」だと噂がたちます。
長屋王は不比等の次女・長娥子を妃に迎えており、
不比等が存命中は舅・婿として良好な関係を持っていましたが、
不比等の死後、不比等の息子たちとの溝が広がります。
聖武天皇に母は不比等の長女・宮古。
藤原の血を引いた天皇です。
しかし基皇太子が亡くなり、藤原の血を引く皇子はいなくなります。
聖武天皇にはもう一人、不比等の後妻・三千代の血縁者である
県犬養広刀自が産んだ安積皇子がいましたが、
もし安積皇子にも何かあれば、皇位は聖武天皇の叔母である
吉備内親王が生んだ子どもたちが継ぐことになります。
こういった背景が、聖武天皇の不安を、
そして藤原兄弟の不安を誘います。
729年、密告により長屋王邸は軍に包囲され、
長屋王は吉備内親王と子どもたちの首を絞め、自害します。
藤原長娥子とその子どもたちには、罪には問われませんでした。
長屋王が無実の罪をきせられ、
ある意味、殺されたともいえるこの一件を
「長屋王の変」といいます。
その悲劇の場所、長屋王の屋敷跡には、
現在、イトーヨーカドー奈良店が建ってます。
ポリポリ(。;´Å`)9ウーン…残して欲しかった。
一度、行ってみて
奈良県生駒郡平群町 長屋王墓 吉備内親王墓