橿原神宮から少し歩いた場所に、
祭神でもある 第1代 神武天皇の陵墓があります。
参道入り口
日向国(宮崎県)から来て、大和征服、
この橿原で即位したのは、辛酉年1月1日。
西暦660年2月11日に比定されます。
明治6年に祭日(紀元節)に定められ、廃止されたあとも、
建国記念日として、現在も祝日とされています。
玉砂利の敷かれた参道を進み、2つ目の石橋を渡ると、
「畝傍山東北陵」が見えてきます。
橿原神宮に来た初詣客が、ここにも・・・
ここも特別参拝で、内部に入れました。
ルンルン☆ヽ((●^∀^●))ノ☆ルンルン
鳥居の向こうは鬱蒼とした森です。
陵墓の横には管理小屋があります。
(この陵墓の横には宮内庁の畝傍陵墓監区事務所があります。)
小屋にいたお兄ちゃんに
「近畿で特別拝所が設けられてるの、ここと明治天皇陵だけですか?」と聞くと、
「えっ、あっ、はい・・・たぶん・・・」
ォロォロ(´Д⊂三⊃Д`)ォロォロ
えっ、もしかしてバイト?
ゴメン、聞いた私が悪かった・・・・ゴメ━━(〃>Å<〃)━━ン!!!
神武天皇は実在性の乏しい初代天皇で、
第10代崇神天皇と同一人物ではないか、というのが有名ですが、
ほかにも、「欠史8代」といい、
第2代綏靖天皇・第3代安寧天皇・第4代懿徳天皇・第5代孝昭天皇
第6代孝安天皇・第7代孝霊天皇・第8代孝元天皇・第9代開化天皇
この8代の天皇は、系譜は存在するものの、
事績がなく、実在していないのでは・・・とされています。
(実在しているという学者もいます。)
だから、この神武天皇陵。
本当の陵墓ではない可能性、かなり大!
マッ∑( ̄□ ̄ )マヂ?
というか、古墳かどうかもわからない!
Wでマッ∑( ̄□ ̄ )マヂ?
江戸末期の文久3(1863)年に、3つの候補地から選ばれた、
作られた陵墓です。
考古学的知識の乏しい江戸時代に、
記録書と言い伝えをもとに選んでるからね。
しかし!
学会が実在している、いないといっても、
記紀に記された皇室の祖先にあたる人物。
宮内庁がここを「神武天皇の陵墓」と定め、祭祀を行っている以上、
ここが神武天皇の正式な陵墓なのです。
畝傍山を囲むように、第2代綏靖天皇・第3代安寧天皇
・第4代懿徳天皇の陵墓があります。
第3代安寧天皇陵
第4代懿徳天皇陵
第2代綏靖天皇陵は今回行けませんでした。
またの機会に写真、撮り直そう・・・(写真は2005年訪問時撮影)
マイナーな趣味ですが、同じ趣味を持つ人はいますねヾ(#^∀^#)ノ
安寧天皇陵で一眼レフのいいカメラを持った方がいたんですが、
その後、懿徳天皇陵でも会いましたヾ(#^∀^#)ノ
正月休みでみんな、巡ってるんだヾ(#^∀^#)ノ
さてさて、駐車場に戻るべく、参道を歩いてると、
来るときフッと思った場所が。
さっき、ここから人降りてきたよね。
神宮の方に抜けれそうやな・・・
その決定が思わぬことに・・・・(|||´Д`)ゞァィャァ~
次につづく・・・・
一度、行ってみて
奈良 橿原市 神武天皇陵
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/001/index.html