奈良県桜井市小夫
ここで???になった碑を発見!
崇神天皇6年、前年から流行していた疫病を抑えるために、
宮中で祀っていた天照大神と倭大国魂神の二神を宮中外で祀る事にします。
天照大神を豊鍬入姫命が笠縫邑に移し、
倭大国魂神を渟名城入媛命に託し、長岡岬に祀りました。
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その笠縫邑の伝承地は色々あり、
有力候補地が、桜井市にある三輪神社の摂社・檜原神社です。
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それはこの地がその伝承地の一つというのは、まだいい。
泊瀬斎宮??
泊瀬斎宮は天武天皇2年(673年)に、斎宮のト占された天皇の皇女
大伯皇女がその任務に就くために、精進潔斎した場所が「泊瀬斎宮」です。
この場所も「未定」とされているため、
ここも伝承地の一つというわけです。
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集落を見渡す場所にあります。
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「天神社」ということで、やはり祭神の一柱には菅原道真公。
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樹齢1500年のケヤキの木が、石を飲み込んでしまってる!!
社伝によると、第23代顕宗天皇の時代に「田中の社」に槻の木を植えたとあり、
その社がこの辺りだそうです。
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境内はそんなに広くはない。
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前回UPした化粧壺で禊をしてたというわけですね。
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斎宮の始まりは崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命、
それを引き継ぎ、伊勢の地に遷し祀った垂仁天皇の皇女・倭姫命ですが、
大伯皇女は「斎宮」という制度が確立した最初の伊勢斎宮です。
山深いこの地で、天照大神を祀った皇女たちは、
どう過ごしていたのでしょうかね。
興味が尽きない話題です。
一度、行ってみて
奈良県桜井 小夫天神社