奈良県生駒郡斑鳩町。
法輪寺の正面に見える丘。
富郷陵墓参考地・・・・・・のはず。
「・・・・・のはず」の理由。
コレ、どこにあんのよ!!
いろいろなサイトで、ここが陵墓参考地なのは確かだけど、
頂上付近に円墳があるらしいけど・・・・
どっから入るのか、わからん!!
゛p(-Д`・●゜。☆オカシイナァ☆。゜●・´Д-)q゛
グルッと1周してもそれらしき道が見当たらない・・・・
この参考地の被葬者候補は「山背大兄王」
聖徳太子の子です。
しかし日本書記にはそんな記述はなく、7世紀前半の皇族であったことのみで、
聖徳太子の伝記・「上宮聖徳法王帝説」だけに「子」と記されているのです。
その場合、母は蘇我馬子の娘・刀自古郎女となります。
山背大兄王は推古天皇の崩御後、
田村皇子(舒明天皇)と皇位を争い、
その後、皇極天皇に皇位が移ったことで、蘇我氏との関係が悪化。
643年、蘇我入鹿は斑鳩宮の山背大兄王を襲撃。
生駒山に逃げますがその10日後、斑鳩寺(法隆寺)で、
山背大兄王とその一族は首をくくり自害。
上宮王家は滅亡します。
これも中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我宗本家を滅亡させた
「乙巳の変」を起こした要因の一つです。
それにしても・・・・・どっから入るのよ!!
ε=ε=ε=(#`・д・)ノ { ドコヤー!! }
一度、行ってみて探してみて
奈良県生駒郡斑鳩町 富郷陵墓参考地
参考地のある丘の北の田んぼの中に丘に向かう農道(?)があったので、適当に進んで無理やり登って行ったらたどり着けました
やっぱり…(ーー;)
完全防備で、再チャレンジしてみます!( ̄- ̄)ゞ