隠棲の地-花山院-

2013-09-26 12:15:36 | 歴史あるトコ-兵庫

兵庫県三田市にある東光山花山院菩提寺

真言宗花山院派の寺院です。

別名・花山院といい、東光山上(標高約400m)にあります。

 

創建は白雉年間(651年頃)とされ、開基はインドの僧・法道仙人といわれます。

ここは992年頃に、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、

播磨清水寺を登った際、東方の山上が光り輝くのを見て訪ね、隠棲の地としたといわれ、

法皇が晩年、帰京するまでの約14年間を過ごしたとされる場所です。

 

 

なにしろここの坂はすごかった!!

・・・写真取り損ねたけど・・・

急勾配の坂!

暗峠(→こちらから)なみの坂・琴弾坂が表参道です。

 

法皇付きの11人の女官が、法皇の寵愛していた弘徽殿の女御の位牌を奉じて来ましたが、

女人禁制で山に入ることが許されず、尼になって麓に住み着いたそうです。

そして琴を弾き、法皇にその思いと伝えた・・・ということから「琴弾坂と呼ばれています。

 

 

さて急な参道の坂道を登りきると山門が現れます。

 

数段の石段を登ると、こじんまりした境内

「花山法皇殿(本堂)」「薬師堂」がこれまた、こじんまりとあります。

 

 

 

ありがたい・・・そしてとっても新しい軍団を発見!

幸福の七地蔵!!

しっかり、握手してきました(笑)

 

ここには、花山法皇の隠棲の地ということで、御廟所もあります。

石柵で仕切られ、入ることはできません。

法皇は1008年、京の花山院で亡くなっていますので、

供養塔なのかもしれませんが・・・・

 (だから花山天皇(法皇)と諡がされました)

 

またこの山の麓に「尼寺(にんじ)」とよばれる集落があります。

尼となって移り住んだ女官たちに由来する地名です。

ここには十二尼妃の墓と伝わる大小12基の墓があります。

 

中央の大きい墓が、弘徽殿の女御のものといわれています。

弘徽殿の女御・・・17歳で妊娠中に急死した、藤原忯子だと思われます。

 

 

 一度、行ってみて

兵庫県三田市 花山院菩提寺



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。