兵庫県三田市にある東光山花山院菩提寺
真言宗花山院派の寺院です。
別名・花山院といい、東光山上(標高約400m)にあります。
創建は白雉年間(651年頃)とされ、開基はインドの僧・法道仙人といわれます。
ここは992年頃に、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、
播磨清水寺を登った際、東方の山上が光り輝くのを見て訪ね、隠棲の地としたといわれ、
法皇が晩年、帰京するまでの約14年間を過ごしたとされる場所です。
なにしろここの坂はすごかった!!
・・・写真取り損ねたけど・・・
急勾配の坂!
暗峠(→こちらから)なみの坂・琴弾坂が表参道です。
法皇付きの11人の女官が、法皇の寵愛していた弘徽殿の女御の位牌を奉じて来ましたが、
女人禁制で山に入ることが許されず、尼になって麓に住み着いたそうです。
そして琴を弾き、法皇にその思いと伝えた・・・ということから「琴弾坂」と呼ばれています。
さて急な参道の坂道を登りきると山門が現れます。
数段の石段を登ると、こじんまりした境内に
「花山法皇殿(本堂)」と「薬師堂」がこれまた、こじんまりとあります。
ありがたい・・・そしてとっても新しい軍団を発見!
幸福の七地蔵!!
しっかり、握手してきました(笑)
ここには、花山法皇の隠棲の地ということで、御廟所もあります。
石柵で仕切られ、入ることはできません。
法皇は1008年、京の花山院で亡くなっていますので、
供養塔なのかもしれませんが・・・・
(だから花山天皇(法皇)と諡がされました)
またこの山の麓に「尼寺(にんじ)」とよばれる集落があります。
尼となって移り住んだ女官たちに由来する地名です。
ここには十二尼妃の墓と伝わる大小12基の墓があります。
中央の大きい墓が、弘徽殿の女御のものといわれています。
弘徽殿の女御・・・17歳で妊娠中に急死した、藤原忯子だと思われます。
一度、行ってみて
兵庫県三田市 花山院菩提寺