奈良県桜井市忍阪にある舒明天皇陵。
(舒明天皇陵の記事は→こちらから)
この同陵域内に藤原鎌足の正室「鏡女王」の墓・押坂墓があります。
舒明天皇陵の右手の道を進みます。
少し行くと、また新たな看板が。
鏡女王は、万葉の歌人。
ふーん、歌碑か・・・そんなもの、あったかな?
と、過去の記憶を思い出そうとした時、
あっ、あった!
こんなとこに!
ぅひゃあぁぁぁぁ(゜Д゜ノ)ノ・゜・アングリ
以前の訪問は2008年1月。
全く覚えがない・・・。
アハハ(^∀^;)。o○トオリスギテタ
こんなとこにあるなら、覚えてるはずだけど・・・。
あの頃は制札の写真だけ撮るのに、必死だったからねー。
秋山乃 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者
(秋山の樹の下隠り逝く水の 吾こそ益さめ 御念よりは)
意味は・・・・・
秋山の樹の下を深く静かに流れる山清水のように、
あなたが思っている以上に私はあなたのことを深く思っています。
(この山清水は私の心そのものなのです)
まさにこの場所にぴったり!ってことみたいですね。
この歌碑を過ぎると見えてきます。
鏡女王は「鏡王女」とも「鏡姫王」とも呼ばれています。
もともとは中大兄皇子(天智天皇)の妃で、
のちに藤原鎌足の正妻になります。
同じ万葉の歌人、額田王と姉妹だという説もありますが、確証もなく、
「鏡王女」=「鏡王の女(娘)」=額田王、という説まであります。
また舒明天皇の同陵域に墓があるため、舒明天皇の皇女という説も。
(舒明天皇皇女の鏡女王は別人とも・・・・)
さらに藤原不比等の生母説まで。
鏡女王は天智天皇から藤原鎌足が下賜された女性。
藤原不比等は天智天皇のご落胤だという説。
この二つが混ざって、こんな説まで生まれてしまったんでしょうね。
ともあれ、謎に包まれた女性です。
ワカリマ━─━((乂(д― )三( ―д)乂))━─━セン
さて、さらに奥にある大伴皇女の墓を目指します!
一度、行ってみて
奈良県桜井市 鏡女王墓