第25代 武烈天皇
仁賢天皇の皇子で、この後つづく天皇・・・・
継体・安閑・宣化天皇の皇后たちの兄(弟)です。
実在したか、疑問視されている天皇ですが、
なんとも、まぁ・・・・すごいことをした天皇として、
日本書紀に記されています。
wikiから引用すると・・・
二年の秋九月に、孕婦の腹を割きて其の胎を観す。
三年の冬十月に、人の爪を解きて、芋を掘らしめたまう。
四年の夏四月に、人の頭髪を抜きて、梢に登らしめ、樹の本を切り倒し、
昇れる者を落死すことを快としたまふ。
五年の夏六月に、人を塘の樋に伏せ入らしめ、外に流出づるを、
三刃の矛を持ちて、刺殺すことを快としたまふ。
七年の春二月に、人を樹に昇らしめ、弓を以ちて射墜として咲いたまふ。
八年の春三月に、女をひたはだかにして、平板の上に坐ゑ、
馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。
女の不浄を観るときに、湿へる者は殺し、湿はざる者は没めて官やつことし、
此を以ちて楽としたまふ。
なんとも暴虐な・・・・
でも、これは「古事記」には記されていないんですよね・・・・
で、陵墓は奈良県香芝市に
傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)がありますが、
・・・・・単なる自然の丘・・・・の可能性大!です。
18歳で崩御し、子どもがいなかったため、
越後から次代の天皇・継体天皇がよばれたわけです。
一度、行ってみて
奈良県香芝市 武烈天皇陵