入館予約のサイトを教えて頂き、太陽の塔の内部を観てきました。見学はところてん状に流されて、ゆっくりできませんでした。
1970年の万国博覧会以来、吹田市に住む私は 太陽の塔に慣れ親しんできました。
写真は1階しか撮れませんでした。
お腹についている太陽の顔は現在を表している。 |
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頂部の黄金の顔は未来を表している。 |
黒い太陽は過去を表している。 |
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何度見ても飽きることなく、お腹の太陽の顔(現在) 頂部の黄金の顔(未来)、背面の黒い太陽(過去)どれも大好きです。 と同時に岡本太郎の創造性の偉大さに いつも感嘆しています。輪廻を考えて造ったそうです。
万博閉幕後(1975)太陽の塔の永久保存がきまります。 昔は黄金の顔の目から外を見ることができたそうです。
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地底の太陽 過去:根源の世界の雰囲気を仮面や神像で表している。 |
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この岡本太郎の巨大な仮面は復元された。 |
生命の樹 |
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生命の樹の足元 上の方にはマンモス、ブロントサウルス、ゴリラもいたのですがー 撮れなくて残念です。 おわり |
関西学院グリークラブのリサイタルに行ってきました。120周年記念でした。
席がなくて前から2番目でしたがそれが幸いして「かぶりつき」でした。歌声のビブラートまで聞こえました。
「いつからか野に立って」作詩 高見順 作曲 木下牧子
「秋の瞳」 作詩 八木重吉 作曲 松下耕
「鐘の音を聴け」作詩Edgar A.Poe 作曲 新見徳英 等
どの曲のコーラスも素晴らしく、作曲もよく、詩は心に響きました。
ボヘミアン・ラプソディー で少し踊っています。 |
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トップテナーとセカンドテナーがあるのですね。 |
パート バスの紹介 私の席の前 4回生の方はこれが最後の現役講演と涙で歌っておられました。 OBの方も100人はおられたでしょう。全然撮ってませんが。 ブログを書かずにはおれない一日でした。 |
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テナーの上本さんです。舞台一番左 |
歴史を訪ねて、JR長岡京市から勝龍寺城公園へ行ってきました。
神足公園 勝龍寺城の高さ6mの土塁・空堀。
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勝龍寺城公園 藤孝は信長の命を受け、京都防衛の軍事拠点として大規模な改修をする。 勝龍寺城は明智光秀の謀反の出陣の場であり、最後の望みをかけた城でもあった。 玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城の 細川忠興 のもとに輿入れした。 |
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勝龍寺城公園内 本丸跡は今は公園になり、乙訓景観十景の1つに選定されている。 |
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細川藤孝 将軍義昭に仕えました。信長は将軍 義昭をかかげて上洛するが、その後 ,追放した後、藤孝はは桂川の西の地を与えられ、姓を長岡にあらためる。 細川忠興 細川藤孝の長男 羽柴秀吉に従い、秀吉の死後 徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いで軍功を上げる。 細川ガラシャ 明智光秀の娘、本名を玉という。 |
展示室 美しい展示でした。2019年11月リニュウアルした。 |
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狭間から 今は穏やかな道路 |
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おわり | |
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