アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

今年を振り返って

2014年12月31日 | アユと凛のこと
今年はどんな年だったのかなぁ

ブログを読み返しても
大した事はしていないなぁなんて思いました。

ゆう君の再婚話しから始まったこの一年
落ち着いているようで
落ち着いた気持ちには中々なれなくて
家族や友達に八つ当たりしたり…
すぐにイライラや頭痛が起こったり…

新年度には楽しい仲間も増えて
楽しく過ごせる事も去年より確実に多かった。
それが積み重なってはいかなくて
どこかいつも冷めていて
嬉しさも
感動も
薄れている。
思い切り笑っても
すぐ涙に変わった…それは 仕方ありません。

タカが結婚した。
くーちゃんが中二になった。


アユの知らない事ばかりが積み重なって行って
その中にどうしてアユが居ないのか
なんで三人揃う時がなくなったのか
時々 解らなくて
やっぱり イライラした。

そんな時
つむぎの会に行って
自分を落ち着かせて帰って来る。

つむぎの会がなかったら
どうしてたんだろう?
精神科に通って 薬のお世話だったかも…


日々 大体元気です。
風邪もあまり引かない
頭痛は持病だけど ストレスの為でもある。
悲しいと頭痛が起こる
女川を思うと頭痛が起こる
イライラして頭痛が起こる
笑っていても悲しい
それは今年も同じだったよ。
でも、大体 元気だから
「乗り越えた」って言われる。

乗り越える?何を乗り越えるって言っているのか
何を見て言っているのかわからないけど
そう、言われる。
「生きてる人にだって大変な事はある」
大変でも 未来も希望もある
時々笑える
生きてるからこそ大変な事がある。
それは 当たり前

「自由だよね」とも…
その通り 自由かも
アユと凛がいなくなって
しばらく毎日泣いて、泣いて、泣いて
吐くほど泣いて
涙はこんなに出るんだって程泣いて
無気力になった。
死んでしまいたいと思った。
未来なんかない アユにも凛にも 私にも
希望もない。
外に出るのも嫌だった。
人と話すのが苦しかった。
笑い声が心の中に突き刺さって
そんな声を聞けば聞くほど悲しくなった。
そんな日々をずっと過ごした。
出来る事を出来る所から…しか何もできなかった。
テレビの音を聞くと頭痛が起きて
活字が脳みそで整理できずに、読めなかった。
音楽で涙が出て聞けなかった。
癒し言葉と言われる言葉が大嫌いになった。
なにをしても癒される事なんかなかった。
どれもこれも、今も時々当てはまる。
だから、自分が出来る時に家の事をする。
自分が出来る所から人との付き合いを始める。
自分の出来る範囲の活動をする。
今も時々出来なくなる事がある。
「わがまま」とか「気分」とか「気まぐれ」って取られそうだけど、しかたない
時々 出来なくなるもの…

頑張った

人生の一生分頑張ったと思う。
だからもう、頑張れない。
そんな感じ
だから、普段は自由にしていたい。
めちゃくちゃに自由なわけじゃない。
「自由」に見えて最低限の母として家庭の事はした上での自由でしょうか…
な~んて言う程 自由じゃないけどね。
仕事もしているし…
「自由だよね」って言う人は
私のそんな事を知らない。
思いも気持ちも知らない。
言うつもりもない。
いちいち 説明出来ない。

今年も言葉の地雷に時々やられてしまいました。
「悲しい私が悲しくない誰か」に
なぜ傷つけられるのか
わからない。

楽しい事や嬉しい事で
悲しい事は少なくなってはいかない。
ただの思い出話しに変わっていったりしない。
涙を流したってスッキリなんかしない。

アユに会いたい
凛に会いたい
こんな思いは年々増して行きます。

「アユと凛と過ごしたい。
声を聞きたい」
こんなささやかな願いも叶わない。

「人は人が笑っている姿を見るとホッとする」らしい
誰かをホッとさせる為に生きてないからね。
ホッとするとしたら、それは他人様の自己満足で
それもまた
「悲しい私と悲しくない誰か」の違い
その違う部分にストレスを感じます。
とても…
年数重ねる度にそう感じていくのかもしれません。

そんな今年も もう今日で終わり

夏に上げた花火は 良かった
本当に良かった!
タカの結婚式も良かった!

また、来年も「良かった」と思える事が
一つでもあれば
それで私の一年は「良し」となる。
アユと凛へのお土産を来年も増やせたらいいなぁ
と思います。

こんなブログを読んでくれて
ありがとうございます。
どうか 良いお年をお迎えください。


コメント (2)
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