アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

さっき

2013年04月16日 | 家族の事
いつもいる家族はなくならないと思ってしまう。
人間って愚か者ですね。

父の死が悲しいかった
アユと凛が悔しい

そして今日
母が



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希望

2013年04月12日 | 思う事
震災から2年1ヶ月
宮城の海岸沿いでは
「やってますよ的」な集中捜索の記事が
人骨か?と思われるものを見つけたと・・・

そこでインタビューを受けた遺族のコメントが
「まだ希望はあります」

なに?
希望?
海中に希望ですか?

私的には
海中に希望はありません。

骨が家族のものかも
と言われても
それは希望ではない

生きて帰ってこない限り
希望はない

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ふっと思った事

2013年04月09日 | アユと凛のこと
二年前

今頃アユと凛はきっとどこかにいて私達が見つけてくれるのを待っているって
信じて疑わなかった。

きっといる
絶対いる って

石巻や女川ではまだまだ混乱状態でゆう君の移り住んだアパートは電気もまだだったと思う。

そんな中で
アユは凛とどこかで待ってるはずだと
ずっと思ってて
私が諦めたら世界が終わる 位の勢いでした。

時間が経つのが嫌でいたたまれなくて
桜のつぼみが膨らんでいくのが嫌で嫌で仕方なかった。

あの時の時間が通り過ぎて
私が今いるこの平和な時が
どうしてあたり前に来てしまったのかが時々わからなくなってしまう。

津波の後のガレキって云われてる皆さんのめちゃくちゃなった物の中を
ただウロウロ探し回って
見つかるまであのままあそこをウロウロしていたかった。

そしたら私は今も女川のガレキの中を歩いていると思う。

自分の今が平和だからこそ
二年前のあの時のあの状況や気持ちが浮かんでくる事があって
今の平和な時が二年前の「あの時」も同じであれば良かったのに
なぜだめだったのか?って
悔しいくて・・・



入学式が続いたら
何だかそんな事を思いました。

あの時卒業も入学も迎えられなかった子供達
そして 凛

春はおめでたいけど私の中ではおめでたくない。
今を生きてる子供達には何も罪はないけど
心からの「おめでとう」は私の中にはもうありません。

生きてるだけでいいじゃない。
ただそう思ってしまいます。
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最期

2013年04月08日 | 思う事
我が子の最期はどうだったかしりたい。

よくテレビのニュースとかに出て来る震災遺族や事故や事件でなくなった遺族が言っているけど
私は知りたくない。

時々、脳裏を横切るけど
考えたくない

アユや凛が帰って来るなら
その時の状況を知りたいけど
そうじゃないなら
私は知りたくありません。

想像だけでも苦しくなってしまう。
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三人兄妹

2013年04月07日 | 思う事
三人兄妹で写真をとるのが好き
大きくなった子供達の成長が私の宝物です。


こと真ん中の息子 タカは思春期から大人になってめったに写真を取らせてくれない。
最近の写真はほとんどないんです。


そのタカもアユが帰って来て
アユのいう事は素直に聞いていました。
兄妹のつながり
トップの力は凄いですよ。
生まれた時から培われた関係だものね。

今はそのアユが不在だから
ついつい私が
「アユがいたらこうしてたよ」って言ってしまいます。
その言葉でタカも割と素直に聞いてくれたりするのです。

そして今日も渋々一緒に写真におさまってくれました。


本当はアユも入って
三人兄妹で写真取りたかったな。
アユがいたら
面白ポーズとか変顔で とか
いっぱい取らせてくれたな。
でもこうやって
タッちゅん(くーちゃんはこう呼んでる)と写った一枚は確実に
ステキな思い出になるんだと思います。

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