上野のパンダで思い出すのは、もちろんランランとカンカン。
推定幼稚園の頃、もしくは小学校低学年の頃、上野に連れて行ってもらったが、延々並んだあげく見えたのは横たわった白黒塊で、幼いながら、二度とパンダなんぞ見るものかと思った。
と、さらに思い出したが、当時、ほぼ自分と同じ大きさのパンダの縫いぐるみがあり、淋しい思いをしていた私の、良い友達であった。
のだが、家庭の事情により幼くも夜は一人で過ごさねばならなかったり、母が義父に暴力を受けていたりしたため私は情緒不安定になり、幼稚園を退学、小学校も不登校になり、大好きなパンダちゃんに八つ当たることもしばしばで、殴る蹴る投げるなどしていた。
数年後、母と家を出たため、パンダちゃんがどうなったかは知らぬが、もっと可愛がってあげればよかったな。と思う今は、可愛いものを可愛いと思える余裕があるのだから、幸せだね。
推定幼稚園の頃、もしくは小学校低学年の頃、上野に連れて行ってもらったが、延々並んだあげく見えたのは横たわった白黒塊で、幼いながら、二度とパンダなんぞ見るものかと思った。
と、さらに思い出したが、当時、ほぼ自分と同じ大きさのパンダの縫いぐるみがあり、淋しい思いをしていた私の、良い友達であった。
のだが、家庭の事情により幼くも夜は一人で過ごさねばならなかったり、母が義父に暴力を受けていたりしたため私は情緒不安定になり、幼稚園を退学、小学校も不登校になり、大好きなパンダちゃんに八つ当たることもしばしばで、殴る蹴る投げるなどしていた。
数年後、母と家を出たため、パンダちゃんがどうなったかは知らぬが、もっと可愛がってあげればよかったな。と思う今は、可愛いものを可愛いと思える余裕があるのだから、幸せだね。