行ってきた、行ってきた。主催側の国際交流のカテリーナは結構雨女なのでお天気が心配だったが、晴れ女の私が年齢の強さで雨雲は勝てなかった。彼女は何だかんだ言っても私の半分の年齢、右半身麻痺でもやっぱり私の方が強かった! とにかく、私達は先ず5年ぶりの再会を喜んだ。でも、哀しいかな、いつもの障害者仲間は一人も来れなかった。
講演の内容は文句なしに素晴しかった。聴覚障害を持つ方が手話を操るのは分かるが、視覚障害の若者が独特なスタイルで手話を道具にする姿には驚きと感心が私を虜にした。
眼が不自由な人にはこれまでもいっぱい会っているが、河野君のように全く見えないという人にこんなに身近に触れ合ったのは初めてである。
「どうやって手話が分かるの?」
私の質問に彼は笑って答えてくれた。先ず、50音の決められた形を覚える。特に「あいうえお」は真っ先に覚える。指の感覚は自分には分かるので形をやってみせる。返事は当然、声で分かるが敢えて手話でやって貰って胸に押し付けて貰う。なるほど、触手話である。勿論、50音が分かっていれば、掌に指で書いて貰う事も可能になる。平仮名と片仮名は好み次第になる。留学時代に香港からの学生と互いに漢字を紙に書き合ってふざけた時、聾唖者に間違えられて、お婆さん達に「微笑ましく」想われた場面を思い出した。
津田さんは視覚に訴えて不便な耳と口を物の見事に助ける。彼女は聴唖ではなく、まさしく聾唖という障害を持っている。聴唖は聴覚の異常はなくても殆ど話す事が出来ない状態にあるが、ゆっくり親切丁寧に聴き入ってあげれば理解出来る。だから、聾唖という障害だと言えるだろう。昔、聾唖学校という名称が使われたが今は聾学校と言うんだそうだ。成る程、音声が明確に出ないだけで、口は確かに正しい「あいうえお」の形をして、音を出そうとしている。
日本手話、アメリカ手話を見事に操るボヌール代表の塩田さんは好感の持てる女性である。塩田さんの横で朗らかに振舞う河野君と津田さんにはもっと多くの港区の仲間に会って貰いたかった。
今年の夏頃、何度か行動を一緒にした若い男の子がいる。彼は突然、両目の視力を失った。この世に生まれて未だ四半世紀しか経っていない彼は頗る朗らかな好青年である。彼は後天的に視覚障害に遭遇したが、河野君は生まれながらにして視覚障害を持つ青年だが、双方同じ特徴は「朗らかで前向き」という事である。私は河野君の講演にあの25歳の青年に声を掛けなかったのが残念で堪らない。いつか、きっと二人を巡り会わせたいと思う。
上杉鷹山という名前を知っている人が何人いるだろう。第35代アメリカ大統領と言えば悲劇のジョンFケネディだが、彼が尊敬する日本人として挙げたのが上杉鷹山である。名前は知らなくても「成せば成る成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり」というフレーズは知っている人も多くいる筈だ。
アメリカ生まれの河野君は3歳までは英語の社会にいた筈なのに英語は苦手だと笑っていた。きっと慣れを継続しなかったからよ、河野君!
熟年層の仲間入りをした私はそれ以前に障害社会に足を踏み入れた事実の証として、障害を持つ若者の応援者になりたいと思った。昨日は久しぶりに感激した時間が長かった。
MIA港区国際交流協会のカテリーナ、地野さん、私を誘ってくれてありがとう!
講演の内容は文句なしに素晴しかった。聴覚障害を持つ方が手話を操るのは分かるが、視覚障害の若者が独特なスタイルで手話を道具にする姿には驚きと感心が私を虜にした。
眼が不自由な人にはこれまでもいっぱい会っているが、河野君のように全く見えないという人にこんなに身近に触れ合ったのは初めてである。
「どうやって手話が分かるの?」
私の質問に彼は笑って答えてくれた。先ず、50音の決められた形を覚える。特に「あいうえお」は真っ先に覚える。指の感覚は自分には分かるので形をやってみせる。返事は当然、声で分かるが敢えて手話でやって貰って胸に押し付けて貰う。なるほど、触手話である。勿論、50音が分かっていれば、掌に指で書いて貰う事も可能になる。平仮名と片仮名は好み次第になる。留学時代に香港からの学生と互いに漢字を紙に書き合ってふざけた時、聾唖者に間違えられて、お婆さん達に「微笑ましく」想われた場面を思い出した。
津田さんは視覚に訴えて不便な耳と口を物の見事に助ける。彼女は聴唖ではなく、まさしく聾唖という障害を持っている。聴唖は聴覚の異常はなくても殆ど話す事が出来ない状態にあるが、ゆっくり親切丁寧に聴き入ってあげれば理解出来る。だから、聾唖という障害だと言えるだろう。昔、聾唖学校という名称が使われたが今は聾学校と言うんだそうだ。成る程、音声が明確に出ないだけで、口は確かに正しい「あいうえお」の形をして、音を出そうとしている。
日本手話、アメリカ手話を見事に操るボヌール代表の塩田さんは好感の持てる女性である。塩田さんの横で朗らかに振舞う河野君と津田さんにはもっと多くの港区の仲間に会って貰いたかった。
今年の夏頃、何度か行動を一緒にした若い男の子がいる。彼は突然、両目の視力を失った。この世に生まれて未だ四半世紀しか経っていない彼は頗る朗らかな好青年である。彼は後天的に視覚障害に遭遇したが、河野君は生まれながらにして視覚障害を持つ青年だが、双方同じ特徴は「朗らかで前向き」という事である。私は河野君の講演にあの25歳の青年に声を掛けなかったのが残念で堪らない。いつか、きっと二人を巡り会わせたいと思う。
上杉鷹山という名前を知っている人が何人いるだろう。第35代アメリカ大統領と言えば悲劇のジョンFケネディだが、彼が尊敬する日本人として挙げたのが上杉鷹山である。名前は知らなくても「成せば成る成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり」というフレーズは知っている人も多くいる筈だ。
アメリカ生まれの河野君は3歳までは英語の社会にいた筈なのに英語は苦手だと笑っていた。きっと慣れを継続しなかったからよ、河野君!
熟年層の仲間入りをした私はそれ以前に障害社会に足を踏み入れた事実の証として、障害を持つ若者の応援者になりたいと思った。昨日は久しぶりに感激した時間が長かった。
MIA港区国際交流協会のカテリーナ、地野さん、私を誘ってくれてありがとう!