脳のミステリー

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105.「もし」を再び考える

2006-12-09 09:48:48 | Weblog
 If I were a real bird・・・と口ずさんだ若き日が懐かしく甦る。時折、冤罪という言葉を見聞きするが、易しく「濡れ衣」と言えば、かなり低学年の子供でも分かる筈だ。
 塗り絵を塗ってて色を間違えて重ね塗りを試みようとした時、下地が薄い色なら薄い程、直しがきく。しかし、黒は「遅かりし由良の助」という事で直しがきかない。
 黒を黒じゃないと訴える人に冤罪という言葉が使えるようになるには、確かに時間がかかる。だが、過去は事実となって変える事が出来ないが、未来は果てしなく未定である。何が言いたいのかって?
 私は英語感覚だと物事をより理解できる人間なので、嫌われ物の英文法で解り易く説明してみる事にする。中学の基礎英語が終了する頃、私達は「仮定法」という動詞の厄介物に出会う。ある事柄を述べるのに事実としてだけではなく、想像、過程、願望等を心の中で考えられた事として述べる訳だ。
 簡単な例を出してみよう。
①If she were humane, she would give me the proper helpful hand.
②If she is humane, she will give me the proper helpful hand.
状況や自分の気持ちによって、どちらを使うか判断するのだが、①は心の中では「目的、状況、機会にピッタリの親切からではないな」と思っている訳で、「もし、仮に心から親切なら(そうではないと思うけど)」という意味が込められている事になる。一方、②は「もし」がそうである可能性がある時に使う訳で、「(分からないけど)もし本当に親切なら」という意味を表すのである。
 ここでは仮定法未来を考えてみる。現在や未来において簡単に起こりそうもない事を述べる時に使うのだが、仮定法現在より更に強い仮想を表す。
If it were not for water, no creature could live on the earth.
「水がなければ、どんな生き物もこの地上に生存できないだろう」
 水不足が大問題になっている現在、仮定法未来はこの例文でかなり身近に感じる事だろう。私は「もし」という言葉が大好きだ。結果が「よし!」と出ると大感激するのは間違いないからだ。「よし!」は良し(一般的に)、善し(道徳的に)そして好し(好ましく)、どれをとっても「よし!」という事になる。
 楽観主義の私は「もしかしたら」常に自分にとってよい方に捉える性格だから、窮地に立たざるを得ない事になっても救われるのだろうか!

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