脳のミステリー

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06.11.大寒の日の痺れは?

2006-01-20 19:21:15 | Weblog
 今日は大寒、やっぱり痺れも大感! 起床時には然程感じなかったが、一時間ほどすると先ず右手に痺れを感じ始めた。ベッドの中では昨夜からしたため、保持してきた温もりが体を保護してきたのだが、時間が経つと外気に負けて内部にある自らの体温だけの温かさで体を温めるよりしかたなくなるからだろう。
 ここ数年の習慣から、目覚めるとすぐに手元近くのハロゲンヒーターを付ける。トイレと洗面所の行き道に更にヒーターのスイッチをオンにしていく。そうすると、着替えの時には部屋が暖まってきて痺れが強くなる事を避けられるというわけだ。ゆっくり朝の用意を済ませていよいよ本格的に立ち上がって行動に移すと、その日の平均的な状況が少しずつ分かりかけてくる。
 無理せず、外の自然と体内の自然を上手く融合する事に成功した大寒の朝はかなりいい気分でマッサージ所に出かけた。10時過ぎにいつものマッサージが始まった。健側の下肢にかなりの所謂凝りを感じた。知らない間にこんなに凝ってるんだ、つくづく疲れているのが分かった。
 その後、効果が出る筈の上腕ストレッチに移った。指の組み具合、両手の上がり方、両腕の引っ張り、どれもが辛くて思うようにいかなかった。でも、後に来る筈の快適な効果を信じてストレッチを試みた。結果として出る効果は夕方遅くに恐らく自覚できるだろう。
 前回、ストレッチで突然、押し黙ってしまった時の「放っといてお願い」が行き届いていたせいか、例の小癪な小人の出現はなかった。
 自分が経験して付き合っている後遺症だけの立場から言える事は放っといて欲しいという事である。自由気侭を要求するわけではない。我侭を無理強いするわけでもない。ただただ、こちらからの要請がない限り「大丈夫ですか?」とか「お手伝いしましょうか?」は無用だという事である。親切心からの様子伺いを断るのは難しいものである。気持ちを察して貰うのが一番難しくも有難い事なのである。
 誰にも左右されず、自分の気持ちに逆らう事無く一日が過ごせたら、その夜の痺れは歓迎こそしたくないが、「まあ、いてもいい、静かにしていられるのなら」と言いたい気分になるのである。

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