脳のミステリー

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51.毎日が私の誕生日!

2006-06-09 06:43:09 | Weblog
 今日は何の日? 私の答は簡単、そう、私の日だ。何故なら、毎日が私の日だから。毎朝、私は密かに自分の誕生を祝っているから。
 米国で、母の日礼拝が切っ掛けとなったのは1908年、20世紀初期のヴァージニア州でのことである。一人の女性が自らの亡き母親を追悼したいと願い出た際、教会は白いカーネーションを礼拝参列者に配った。この風習が米国の殆どの州に広まって、数年後に母の日が制定された。それが日本に伝えられたのは明治末期の頃である。
 また米国では、翌1909年にワシントン州で「母の日があるのに、父の日がないのはおかしい。父の日も作って下さい」という嘆願が牧師教会にあったという。病死した母親に代わって生涯クレーマークレーマーを通した父親を想っての嘆願はやはり、数年後に認知された。アメリカ合衆国第28代大統領ウィルソンの時代の話である。
 そこで、私に質問。どうして毎日が私の日なのか? 世界で母の日父の日を祝っているのだから、私は自ら私の日は毎日と思って有難がるのはどうだろう? 亡き父がしんみりと言ったことがある。70歳で障害社会に引き込まれ、悠に干支を車椅子でグルッと周った父が、珍しくしみじみとした表情で言った。
「障害を持って、80を過ぎると、毎日、朝を迎える度に自分に感謝するんだよ」
忘れられない言葉である。
 子供の頃から、協調性を身に付けてきたら、還暦を迎える頃には自分大切人間になってもいいのではないだろうか、と思う訳だ。聖書では「自分を愛するように隣人を愛せよ」と教えられるが、私は「自分を大切に想うように隣人を想え」と言いたいのである。とにかく大切にされた人間は他人を大切に想う筈である。
 そこで、毎日朝が来る度に自らのリバース(re-birth)を噛み締めて一日の始まりを実感したい、と思った訳だ。
 今、世間を騒然とさせているエレベーター事件は私が始終通っている障害者センターに隣接する建物で起こった。調査中だから素人のコメントは控えたいが、「精密なものほど検査を怠るものではない」と思う。かつて私の会社の飛行機には素晴しい技術屋が付いていた。エンジンの故障でも何でも、彼が駆け付ければあの大きな機体は激しく泣きやんで眠る赤子のように落ち着いたものである。彼の技術と機密さと丁寧さがいい結果を生み、飛行場のヒーローになっていたのは言うまでもない。当時、若かった私は自社の飛行機を愛し、自社の技術屋に自信を持ち、更に日本人の腕を誇りに思ったものである。人間の頭と心も負けず劣らず、精密なものである。夜、時の過ぎ行くままに眠りにおちたら、朝は生まれ変わったかのように有難く自分の再誕生を祝ってから、充分に点検して一日の行動に移していきたい、と思うのである。

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