脳のミステリー

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33.日本の困った金満家

2005-09-21 20:42:08 | Weblog
 障害生活が二年目に入って暫くした頃、未来は自ら区営の障害者センターのリハビリに参加するようになった。そこで素適な若い療法士に出会った。彼を見ている内に、多くの若者に英語指導してきた未来は何と多くの事を彼等から教わったか、と懐かしく思い出した。リハビリの指導をしながら、賢い療法士は未来に色々な事を教えてくれた。
 病魔に襲われる前、長い間、小中高生に幅広く英語指導をしてきた未来は近年の特に義務教育の公立離れに感心を持ってきた。未来がその年代だった頃、彼女が住んでいた地区ではお金のかからない理想の教育は番町、麹町、日比谷、東大と謳われていた。そして、未来は中学まで有難く公立学校に通い、高等教育からは自分の好みで私立の学び舎を選んで進級したのである。選んだ高校の教育モットーは未来を落胆させなかった。そしてあの頃、未来が住んでいた地区の公立校の教師達も最高だった、といつも振り返るのである。
 ところがそれがいつの頃からか猫も杓子も私立私立と言い出すようになっていった。初等教育から何が何でも高額な学費を要求される私立校を敢えて選ぶなんて、紛れもなく金満国ニッポンを象徴する事の一つだと未来は感じていた。自ら好んで進んだ留学の道でさえ留学費用は先方持ちで、通学するようになってからも当時、年齢だけが審査の対象だった奨学金も小額ながら未来は手にしていたのである。だから、何にもお金をかける日本人、何でもお金で片付けようとする日本人にはとても批判的であった。
 だが、未来の心配をよそに、生徒の公立離れにデモシカ先生が拍車をかけたのか、私立校志向は増していったのである。デモシカ先生とは「先生にデモなるか」とか「先生にシカなれない」という事で新社会人を前にした就職先を皮肉った表現である。とんでもない事だが、もしそれが本当ならそんな人達に将来有望な子供達は委ねられない。先生と言えば、かつては聖職といって尊敬されたものである。公立校だけではない、公的に進められる事を良しとしない傾向が高まってきた日本社会はどうかしている、と未来は真剣に思っている。
 とにかく日本人は何でもお金で始末するようになってきている事は必ずしも否めない。だからこそ公的な障害者センターで尊敬できる若者に出会って、その人が療法士だという事実が未来にとってとても嬉しかった。  つづく・・・


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