脳のミステリー

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13.痺れと格闘:その3

2005-07-19 17:58:19 | Weblog
 大脳皮質の運動分野の説明を受けた事がある。下肢、体幹、上肢、眼瞼、顔面、舌、嚥下といった具合に手と顔の筋肉を動かす働きを持つ細胞の占める面積がとても大きいのを知った。脳血管障害、俗にいう脳卒中が起って運動の指令が伝わらなくなると反対側の体の機能が麻痺するという事は一般的に誰でもが知っているようだ。交叉の前には三角柱を横にしたように尖った膨らみが左右二本あって、その中を運動の指令が伝わっていくので未来のように左の大脳に障害が起れば右の手足が麻痺し、右の障害なら左の麻痺という結果が出るわけである。追究熱心な未来に医師は更に続けてくれた。命令が二本の膨らみ、即ち錐体路を通る時、錐体の下では左右が交叉するので錐体交叉というのだ、と未来は知った。そして、大脳皮質の運動野を通って到着する内包で脳卒中を起こしたのだから堪ったものではない、と未来は知らされたのである。更に中脳を経て錐体交叉に辿り着きやっと到達した反対側の前角細胞では力尽き果ててしまうというのだろうか。道中はとても長く、錐体交叉と前角細胞の間にある脊髄では脊椎骨で出来た管に保護されて通るようになっているのだが、細かい神経細胞なので運動だけでなく感覚神経の麻痺も起り易い、という事を知ったのである。
 未来は右足の親指が無意識の内に反返るという経験をしばしばする。錐体路の障害が強い時に見られる症状だという事である。不随意運動の典型は振戦で未来はかつて父にも母にも見られた症状だと思い出した。振戦とは手が、大抵は片手が本人の前、しかも胸のあたりに出てきて、小刻みに震える症状だ。かつてはテレビのコントに出てくる爺チャン婆チャンの振り付けとしては欠かせないものだった。最近では老いも若きもが経験する振戦は老人との境界線が遥か彼方になって気のせいか登場回数がずっと減ったようだ。確かに正常な人にでも起り得る症状だが、そんな時は心の高ぶりとして処理される。足が突然ピクッと動いたり、背筋がゾクッとしたり、シャックリが出たり、皆不随意運動の一種なのである。正座でのビリビリした痺れは末梢神経障害だし、シャックリは不随意運動だと考えれば、未来は呑気に自分の右片麻痺を簡単に半身不随なんて命名した自分を愚かだ、と思うのである。
 最近、こんな経験をした。普通の痺れ?を所謂、長時間正座した時に生じる異常感覚を久しぶりに右足に感じたのである。ホットパッドを少し長い時間、右足に当てて貰った。やがて暖かさを感じ始めてまもなく、いつものような奇妙な痺れが右の上腕に走った。その直後に、何とあの普通の痺れを右脚に僅かだが、感じ始めたのである。何とも懐かしかった。実にウェルカムという気分だった。
 また、突然、気温が下がった朝は痺れが急激に倍増した。昨年までは、気温の急降下は感じてもすぐに痺れに連結はしなかった。リハビリを増やした直後の冬は気温の変化よりも先に未来は自分の体内から痺れの変化を感じ取り、寒さを感じ取るのである。そして痺れは痛感を伴い始めた。年々というより日に日に変化するものである。今年は痺れが痛みをサンドイッチ状態に挟んだのだからたまったものではない。痺れが倍増するのは予想がついても痛みを挟むとは思わなかった。痺れにせよ、痛みにせよ、共に外的モーションをかけられてその結果、未来が感じる事ではないのでやはり不思議と言わざるを得ない。確かに内乱が起きて、すぐに痺れも痛みも感じてくる事が自分の体を通して証明できる。
「痛い! 痺れる!」
「どっちなの?」
「どっちもよ。痛い! 痺れる!」
自問自答だが、これではオーバーで冗談がきついと言われても仕方ない。次から次へと色々な経験をさせてくれるものだ。体験は宝だ、と豪語するのも期間限定なら大歓迎だが、無期限の経験だと思うと癪に障るものである。       

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