時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

現れては消える、小さなショップ

2015年01月15日 | 音楽活動

もうだいぶ前の話になるが、ギターショップ巡りが楽しくて仕方なかった頃があった。


かれこれ20年ちょい前のことだっただろうか。


その頃は、小さなギターショップが、各地に数多くあった。


有名楽器屋のような大きな店舗では決してなく、へたすれば6畳くらいの広さしかない店もあった。


中には、とても店などがありそうもないような一角で、ひっそりとビルの一室がギターショップになってる店もあった。


そんな店を、町を歩いててたまたま見つけることもあれば、ギター雑誌などの広告で知って探し当てることもあった。


で、見つけると、ブラッと立ち寄り。


当時は私にとって一番ギター探索に熱が入っていた時代だった。


だからよく1人でブラブラとあちこちの街のギターショップ巡りをしていた。


欲しくなるギターはあちこちで見かけたが、そのたびに買っていたら、お金がいくらあっても足りない。


でも、吟味したうえで、買うこともままあった。


めったに買うまではいかなかったが、実際に買ってしまったこともあった時期ではあるので、今の私の所有ギターのいくつかは、その時代に購入したギターだ。


もちろん、それ以前に買っていたギターも多かったけど。



この当時までには、自分の持っていないタイプのギターや、形が面白いとか、そういう理由で買ったギターもある。


たとえば、ヤイリの桶ギターもそうだったし、マーチンのバックパッカーもそうだったし、ナショナルのリゾネーターギターもそうだった。まあ、リゾネーターギターは、その頃よりも前だったとは思うが。


ともかく、そういうギターが、私の「所有ギター」として増えた時期でもあった。



その頃は、絶えず自分好みのギターを探していた・・・ということだろう。


だが、そういうギター巡りも、ある時に区切りがついた。


それは、十代の頃から憧れていた、自分にとっての「究極のギター」を入手した時。


それを入手したら、「もう、これ以上自分は何を望むのだ?」という心境になることができ、そこで私のギター収集は止まった。


そういう意味では、「究極のギター」を買ったのは正解だったかもしれない。


おかげで、それ以後、所有ギターの本数がいたずらに増えなくなったから。



それ以来、以前ほどギターショップ巡りはしなくなった。


意識的に、楽器屋に近づくのをやめている部分もある。それは、うっかりギターショップに行くと、欲しくなるギターが見つかってしまう場合があるから。


以前ほどギターショップ巡りをしなくなってみると、小さなギターショップそのものが減っているように感じるようになった。


というのは、以前ギターショップだった店舗が、閉鎖されていたり、全く別の種類の店になっていたりするから。


そういうのを見ると、小さなギターショップってのは、経営が難しいんだろうね。


私も以前、小さなギターショップを見つけるたびに、そんな店を持ちたいななどと漠然と思ったことはあったが、そういう店が営業停止したり、なくなっていたりしてる現状を見て、自分ごときがそういう店をやらないでよかったかな・・・などとも思うようになっている。


やはり、趣味と、実益ってのは・・・違うからね。



これを読んで下さっている皆さん。


皆さんも、自分の趣味を活かした店を持ちたいと思ったことがあるけど、中々持てないでいる・・・という方は、案外いらっしゃるのでは?


でも、そういう店が現れては消えていってる現状を見て、やはりやらないでよかった・・と思ったことがある方は、いらっしゃるのでは?




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