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かつてこのブログで、私が音楽活動をやめたと自覚するのはどんな時だろう・・というテーマで日記を書いたことがあった。
その時の答は「曲を作らなくなったら、自分の音楽活動は終わったことになるのではないか」であった。
最近の私は曲を作るペースは相当落ちている。へたしたら年に1~3曲できるかどうか。
昔出した自分の答だと、私の音楽活動は終わりかけてることになる。
だが、自分としては、そういう気にはなっていない。
かつて自分が出した答と矛盾しているじゃないか・・とセルフつっこみを入れたくもなるが、自分の中で違うベクトルも生まれてきて。
それは・・あまりにも多い「埋もれ曲」の対策だ。
もしも新たに曲を作っても、大半は埋もれ曲になってしまうだろう。
その結果、せっかく作っても、埋もれ曲が増えるだけだ。
ならば、膨大にある「埋もれ曲」を少しでもなんとかしたい。
そう思って、いつの間にか始めたのが「埋もれた自作曲の蔵出しシリーズ」だった。
だが、このシリーズで歌ってきた曲も、わずかな例外を除いて、大半は再び埋もれていっている。
このテーマで取りあげた「埋もれ曲」の中には、再び取りあげてもいいかなと思える曲もあった。
それは、このテーマで掘り起こしたから、それがきっかけになって芽生えた気持ちだった。
なので、これまで作ってきた「埋もれ曲」を改良して、人前に出せるようにしていく作業も良いのではないか・・と思えてきている。
その中の好例が、「疎外の唄」。元々は高校2年の時に作った曲で、発表の機会がないまま何十年もの時が過ぎた。
だが、ある時、思い切って引っ張り出して歌ってみたら、少なくても自分の中の感触では「ちょっと改良すれば、今の自分でも歌える」という気持ちになれた。
そこで、珍しい正式な「弾き語りライブ」でその歌「疎外の唄」を選曲したこともあった。
なので、膨大な「埋もれ曲」を見つめ直す作業をしている昨今。
以前は、何十年も埋もれてきている自作曲なんて、もう使えない、だからひたすら封印したり、向き合わなかったりしていた。
そういうのを使うくらいなら、今の気持ちで新しい曲を作ったほうがいいと思っていた。それが今の自分なのだから・・と思って。
今でもその考えは、間違いではなかったと自分では思っている。
だが・・
作った曲の数だけはたくさんあるわけだし、とりあえずはもう無理に作らなくてもいいのではないか。
今ある曲を、もっとなんとかしてもいいのではないか。
もしも何かの拍子に自然に新しい曲が浮かんだら、それはそれで作ればいいわけだし。
無理に新しい曲を作る・・そんなことはやめてみようと思った。
バンド時代は、「こんな曲を作ってくれ」という要望などもあって作ろうとして作っていた時期もあったけど、今はそういう状況ではない。
まあ、バンド時代のその状況もまた楽しいものではあったけど。
つまり、曲を作るということが、根本的に私は好きなんだろう。
とりあえず今は、無理に作っても、納得のいくものにはならない可能性は高いし。
無理に作る状況でもないし。
自分はそれで食べているわけではないのだから。
十代の頃に作った曲の中には「こんなの恥ずかしくてもう歌えない」というのもある。
でも、あらためて向き合ってみたら、「今でも試してみてもいいかな」というのもある。
かつて自分の分身のひとつだった曲が。
だんぞうさん自作アルバムに収録したオリジナル楽曲を除いて、今でも特に印象深いオリジナル楽曲があるでしょう。
それらを今でも歌えるように改編していく作業が良いですよ。
「セカンド・アルバム」製作のつもりで(笑)
無理やり新曲を作っても、きっと満足いく出来にはならないはずです。
ビートルズでさえ、契約に追われて、レコードに収録するためだけに作られた楽曲には、特に魅力を感じません(特に中期以降)
ついでに、だんぞうさんにリクエストするなら、ビートルズ「イン・マイ・ライフ」のような詩・曲ともに美しいバラードを作ってほしいです(笑)
元々は3部作のアルバムにしたかったんです。
曲のストックだけは大量にあるので。
高校時代に作った曲は、長年封印してました。
向き合いもせず、ある意味「スルー」してきましたが、今向き合ってみると、手直しすれば使えそうなものもあるんです。
それをなんとかしたい気はしてます。
インマイライフですか?
とびきりの名曲ですね。
バラードは私の中でも何曲もありますが、インマイライフにはとうていかなわないですね(笑)。