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ロシアとウクライナの戦争の映像がさかんにニュースで報道されている。
ニュース番組の大半がそのニュースで占められるているが、その戦争映像の後にパラリンピックのニュースが報道されると、どうも中々心が切り替わらない。
ウクライナの悲惨な状況の直後にパラリンピックの映像が流れてもなあ。
よりによってパラリンピックのさなかに戦争が起こるなんて・・。
グローバルやグローバリズムというものが大きくもてはやされてきている昨今だが、コロナではグローバルのリスクが大きく露呈してしまった。
そして今。戦争で、グローバルのリスクは更にクローズアップされた気がしている。
さんざんもてはやされたグローバルというものは、何か国際間で問題があった時、これほどリスクの高いものだったということを実感。
今さらグローバルの必要性が必要以上に縮小されることはどうかと思うし、グローバル前提の上で世界の様々な経済はまわっているし、だいいち今更鎖国というわけにはいくまい。
それはそれでデメリットが大きすぎる。
だが、かといってあまり安易にグローバルをもてはやすのは、どうなのさ?という気もしている。
グローバリズム至上主義という考え方には、もっと慎重にならないといけないのかもしれない。
メリットはあるが、デメリットが出た場合深刻になる。
つくづくそう思った。
コロナの猛威や、ウクライナとロシアの戦争による色々な余波を考えると。
安易なグローバリズムには要注意・・・と、今世界は警鐘を鳴らされているのかもしれない。釘をさされているのかもしれない。そうも思いたくなってくる。
時々、町の片隅にコロナ前の古い宣伝ビラみたいなものが貼られて残ってるのを見かけるが、その宣伝文の中に「グローバル」が連呼されたり、強調されてるのを見ると、どこか引いてしまってる自分がいる。色あせて見える…そんな感じ。
我々は、グローバルの良いところばかり見すぎていたのではないだろうか?
我々はグローバルという言葉に、踊らされ、うかれていなかっただろうか?
そのリスクを甘く見たり、なめていなかっただろうか?
調子に乗っていなかっただろうか?
もちろん、どの国も鎖国状態で発展してゆけるとは私も思ってない。
グローバルの大事さは、間違いないだろう。
今の時代の中、鎖国だなんてできるはずかないし、そんなのは経済の自殺行為だろう。
だが、グローバルにはメリットもあるが、デメリットも確実に存在する。時にはデメリットがメリットを上回る事態もありうる。生命の危険にも繋がる場合がある。良い面ばかりではないのだ。
そのリスクはしっかり把握したうえで、慎重さも合わせ持ってないといけないのだろうと思う。
あまり安直にグローバルをもてはやすのは、無責任に繋がる場合はある。
なお、写真はこの日記とは関係ありません。
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